初期古典時代の神殿彫刻


前五世紀中頃に建立されたオリンピアのゼウス神殿からは破風彫刻とメトープが良好な状態で保存されている。破風の群像については現存する像とパウサニアスの記述を元に構図が復元されているが、各像の位置付けについては不明な点も多い。パウサニアスは東の破風の彫刻家をメンデ出身のパイオニオス、西の破風をアルカメネスとしているが、前者は前424年ごろに同神殿のアクロテリオンのニケ像を制作した人物であるため、恐らくその銘文を見誤ったものと考えられ、後者についてもわれわれの知るアルカメネスはフェイディアスの弟子であることから年代的に無理があり、彼の勘違いか、あるいは別人のアルカメネスがいたと考えるほかない。

東の破風(Olympia; Perseus Project)の主題はオイノマオスの戦車競技で、パウサニアスによれば中央にゼウスが立ち、その左右にはそれぞれオイノマオスとペロプスが、さらにその外側にステロペとヒッポダメイアがそれぞれ立つが、彼の記述があいまいでそれぞれが左右どちらに立っていたのかはっきりしていない。その外側にはいずれも四頭の馬があらわされ、さらに座ったり寝転んだ人物があらわされて、横に長い三角形の破風の構図にあわせた配置となっている。しかし全体的な構成としてはかなり静的で、またそれぞれの像が孤立しているような印象を受ける。

一方のラピタイ族とケンタウロス族との戦いを表した西の破風(Olympia; Perseus Project)はかなり動的な構図で、それぞれの像が複雑に絡み合っている。中央に非常に良好な状態で保存されているアポロンの象が立ち、その左右にはテセウスとペイリトオスがそれぞれその外側に配置された、女性を襲おうとするケンタウロス(図1)を攻撃しているが、ペイリトオスのポーズは僭主暗殺者像のハルモディオスのものとよく似ている。 そのさらに外側には、ラピタイ族と戦ったり、その女性を襲ったりするケンタウロスが破風の三角形の構成にあわせて配置されている。

図1 オリンピア・ゼウス神殿西破風

ゼウス神殿のメトープは神殿の外側ではなく、神室の東側の前室と西側の後室の梁にそれぞれ6点ずつ配置されている。その主題はヘラクレスの12の難行で、興味深いのは彫刻でも陶器でもほとんど取り上げられることのないアウゲイアスの小屋の掃除の場面が表されていることである。また陶器とは異なる場面を取り上げたものもあり、ステュンファロスの怪鳥退治では鳥を殺す場面ではなく、その鳥をアテナに手渡す場面を取り上げている(図2)。構図としてはそれぞれの人物がほぼ直立する静的なものから、クレタの雄牛の場面のようにヘラクレスと雄牛の体が交差するダイナミックなものまで様々である。

図2 オリンピア・ゼウス神殿メトープ

破風、メトープともに興味深いのは、アルカイック時代のものと比べ、苦痛や怒り、不安など、それぞれの人物の表情が少しずつ表現されるようになってきている点である。またこれまで神々や英雄だけでなく実在の人物の彫刻であっても、理想的な美しい姿であらわされていたのに対し、特に破風において額のしわなどより人間味を帯びた姿で表現されているのが興味深い。なおこの彫刻群の作者は不明だが、異なる人物によって作られたことが明らかな点も多く、少なくとも一人の人物の監修の下で数人の彫刻家が活動していたと考えられている。

同じオリンピアからはガニュメデスを連れ去るゼウスを表したテラコッタの像が出土している(図3)。前470年頃のものと考えられ、その台座の形状から何らかの建築物のアクロテリオンとして作られたものと推測されているが、どの建物に属していたのかは明らかではない。部分的に彩色の跡も残っており、ギリシア本土の数少ない大型のテラコッタ像として貴重である。

図3 ガニュメデスを誘拐するゼウス