源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱A3

「げんじろーど」に集う
素晴らしい仲間が回答してくれました。
ありがとうございますm(__)m

ゆうか
さんの疑問
朧夜月がなった尚侍ってなに?

・内侍司という後宮十二司の一つに属し、天皇への取次ぎなどを仕事としている女官のことを尚侍と言います。尚侍は取り次ぎという職務上、天皇の傍近くに仕 えるので寵愛を受けることが多かったのです。初めの頃は従五位相当の女官が担当していましたが、寵愛を受けることの多さから平安時代には従三位に格上げさ れ、女御、更衣に準ずる地位となりました。[朝月]
・朝月さんに補足して、辞書などでは、女御更衣に準じる地位と書かれている場合がほとんどですが実質的にはこの位につくのは皇女、大臣の娘の女御になる前 の格付けや、色々な事情で正式に入内できない女性に与えられる規格外の妃、などといった場合がほとんどです。ですから実際は更衣などよりも権勢を誇った人 が多かったよう…。[はや]


まぽりん
さんの疑問
若紫の初めて登場する時の髪型って、肩ぐらいでしたよね?でも、時代を 考えると、10歳にしてはちょっと短いように思えるのですが・・・。 俵屋宗達氏の描かれた有名な絵では腰ぐらいまであったような気がします。 若紫の髪 の長さって、実のところ、どうだったんでしょうか?

・【補足】えっと、葵巻で源氏が若紫の髪の毛を削ぐシーンがありますよね?若紫巻と葵巻の間には5年ほどしか経っていないのに、こんなにも早く伸びるもの かと気になりました。 ある本によると、尼削ぎは腰までと書いてありましたが、本当なのでしょうか?ご意見お待ちしています。[まぽりん]
・若紫の髪の長さは、原典には「髪は扇を広げたようにゆらゆらとして…」という描写でしか書かれていないのではっきりとはわかりません。その記述を読んで想像で描かれたものなので若紫像が絵によって違うのではないかと思います。[朝月]
・なるほど。「肩ぐらい」とかいう記述はなかったんですね。原文は読者や画家の想像力をかきたてられますね。朝月さま、どうもありがとうございます^^[まぽりん]
・いまさら遅いかもしれませんが、あの時代は女性には髪を伸ばし始める歳があるそうです。何歳からだったのか忘れてしまいまいしたが、生まれたときからずっと髪を伸ばしているわけではないらしいですよ。[はつはる]
・男性のほうは毎日頭を剃って、4歳(数え年でだっけ?)から伸ばし始めるそうですね。でも、女性にも伸ばし始める歳があるとは知りませんでした。調べてみたいと思います。はつはるさん、貴重なご意見ありがとうございました^^[まぽりん]


よし
さんの疑問
六条御息所の夜離れの悩みって、単純に源氏がこなくなったから悲しいってことなんでしょうか?

・そうだと思いますよ。それに彼女は源氏の愛人扱いでしたから、元東宮妃という立場上プライドがそれを許せなかったのでしょうね。[朝月]
・「夜離れ」という言葉とその意味をお分かりでしたらそのまま受け止めたのでいいと思われます。[はや]


やちる
さんの疑問
裳儀って言うのはどのようなぎしきなのですか??

・女性の成人式に相当します。この女性(娘)が結婚できる状態になったと世間に伝える意味もあります。裳儀を行なう年齢は特に決まっておらず、源氏物語では明石の中宮(11歳)に対して玉鬘(22歳頃)となっています。[たー坊]
・女性の成人式です。ちなみに、男性は元服です。12歳になると、行われます。たー坊さんのおっしゃった通り、決まっていなかった様です。[近江の君]


華南
さんの疑問
源氏が明石で明石の君と出会った時の年齢は何歳なんですか?

・15くらい・・・[T.y]
・二十五歳で須磨に流され、二十六で明石入道に迎えられ明石に移り、そのあとくらいですね。だから二十六歳だと。[はや]
・へぇ〜×99[華南]


華南
さんの疑問
柏木の「衛門のかみ」って言う役職ってどんな仕事をしていたのですか?

・大内裏内の警衛、及び、行幸の際の供奉をする役職です。衛門督はその長官です。[はや]
・平安時代の役職や位についてはこちらのサイトがお奨めです。http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/[はや]
・はやさん、有り難う御座います![華南]


rei
さんの疑問
朝顔の君ってだれとも結婚しなかったんですか?

・多分、そうだと思います。[華南]
・独身を通し、後に出家しました。[はや]
・。。。なんか式子内親王みたい[華南]
・源氏物語を読めば読むほどに、彼女の高潔な人生を全うした生き方が輝いてくる気がします。現代の世の中って誇りよりも何よりも金、金、って時代ですから余計に・・。[よし]


しば
さんの疑問
源氏物語54帖に入らない名前だけの巻って何ですか??

・「雲隠」の帖(巻)が54帖に入りません。[たー坊]
・たー坊さんありがとぅです((o(≧ω≦)o))[しば]
・源氏の君が亡くなられた、「雲隠れ」の帖です。大和和紀さんの源氏物語「あさきゆめみし」では、「雲隠れ」の場面があります。[近江の君]
・雲隠、ですね。紫式部はあえて何も書かずに、源氏の死を暗示させたという説もあります。[蛍]


せりりん
さんの疑問
落葉宮は柏木に軽んじられるばかりか、夕霧に強引に迫られて再婚させられてしまいますよね?夕霧の家庭をぶち壊すなど、良いところがないように思える落葉宮ですが、どんな役割があって(またはなんのために)物語りに登場してきたのでしょうか?

・それは読む人の解釈に寄るところも大きいと思いますが…。落葉の宮の評価も様々な視点で見ると違ってくると思います。私の個人的な意見としては落葉の宮 は夫婦関係ってどういうものかを教えてくれる存在なのではないかと思っています。確かに落葉の宮の登場で夕霧の家庭は一時期壊れてしまいます。でも、それ は落葉の宮だけのせいではなく夕霧と雲居の雁の関係がマンネリ化してしまったからでもありますよね?どんなに大恋愛して結婚した仲のいい夫婦でもマンネリ 化は避けられません。そういう夫婦の仲をどのようにすれば家庭を壊したりせずに済むのか。そういうことを教えてくれているとも言えるのではないでしょう か?あとは、落葉の宮の生涯を見たり女三の宮のことも合わせて考たりすると、この当時女性が自分の意思を貫くことは容易なことではなかったことがわかって きます。もう少し様々な視点から落葉の宮を見てはどうでしょう?そうすれば、せりりんさんにしか見出せない落葉の宮の役割や価値が見つかると思いますよ。[朝月]
・朝月さん、どうもありがとうございました。落葉宮論をやるにあたって、ああでもないこうでもないと考えあぐねて煮詰まって八方ふさがりの状態でしたが、 朝月さんのご意見を伺って光が差し込み、暗闇から脱出できそうな気がしてきましたw こうと思ったらなかなか他の角度からは考えが動きませんでしたが、朝 月さんのご意見をヒントに、様々な人物との絡みを見直し、私なりの落葉宮論を頑張って作り上げたいと思います。[せりりん]


すめらぎ
さんの疑問
帝の妃たち(女御・更衣)と帝の娘たち(内親王)では、どちらのほうが位が高いのですか?

・帝→中宮→内親王の宣下を受けており、品位の高い宮→女御、更衣それぞれ与えられた位階による。くらいでしょうか?実際は後ろ盾の権力や姻戚などが絡むのではっきりとはいえませんが。[はや]
・はやさんのおっしゃるように実際には後ろ盾の権力や婚姻が絡むので人によって違ってくると思われます。内親王は基本的に一番高位の身分ですけど、母方の 血筋や与えられた品(一品とか二品とか)によって変わってきます。源氏物語の中で例をあげれば同じ内親王でも女三の宮は世間で身分的に重く見られますけど 姉の落葉の宮は軽んじられてますよね。それは彼女が更衣の娘だからです。更衣はやはり女御の下の地位の女官なので世間的に低く見られがちだったようです ね。[朝月]


sacco
さんの疑問
源氏物語の登場人物…というか、平安時代の人々は、物語口調(文語)でしゃべってたわけじゃありませんよね。平安貴族の口語を教えてください。

・更新ボタンを押したら、二つ投稿されてしまいました。申し訳ありません。[sacco]
・それはやっぱりその時代に行かないとわからないことと思います(^^:)ちゃんとお答えできなくてごめんなさい。でも、漢字を読むときに中国風の発音は 重視されていたようですよ。平安時代には現代ではなくなってしまった発音の音も多く存在していたようです。もしちゃんと知りたいのなら言語学関係の書籍を 読むことをお薦めいたします。[朝月]
・口語はやはりわかりませんが(ごめんなさい)、宇治拾遺物語なら、貴族から民間人までセリフが多く載っていますので読んでみてはいかがでしょうか?[まぽりん]
・それから、お父様は「おもうさま」(母屋に由来)、お母様は「おたあさま」(北の対に由来)、母上は「ふぁふぁうえ」(当時h音がなかった)と発音していたそうです。ただし、平安時代のものかはわかりませんので、ご参考までに。 (これって口語かしら・・・?^^;)[まぽりん]
・朝月さん、まぽりんさん、ありがとうございましたv[sacco]


sacco
さんの疑問
源氏物語の登場人物…というか、平安時代の人々は、物語口調(文語)でしゃべってたわけじゃありませんよね。平安貴族の口語を教えてください。

・その時代の言葉は良く分かりませんが、よく古典に、とっても難しい言葉がのってますよね。あんな感じではないでしょうか。「枕草子」では、〜はるはあけ ぼの。ようようしろくなりゆくやまぎは すこしあかりて むらさきだちたるくも......〜今の時代と同じで、書き言葉と同じ感じでしゃべっていたので はないでしょうか...。(まだ古典のべんきょうをしたことがないので、良く分かりませんが...)[妙鈴]


諏訪
さんの疑問
桐壺帝(帝全員)には多くの女御・更衣がいたようですが、一体何人いたのでしょうか・・・??

・すみません、桐サンが同じような質問をなさっていました!分かりましたので。。。すみません><*[諏訪]
・桐さんの質問についての答えは物語はじめの言葉についての私なりの見解なので、正確な答えではありません。[はや]
・桐壺帝の女御、更衣について今わかるだけ書いておきます。藤壺中宮、弘徽殿大后、八の宮の母女御、承香殿女御、麗景殿女御(花散里の姉)、桐壺更衣、後涼殿更衣…などです。[はや]


華南
さんの疑問
紫の上の年齢がいまだにわかりません。誰か教えて下さい!

・物語のそのときそのときで変化します。時間の流れを確認しながら読むことをおすすめします。[はや]
・だいたいの年齢ですと(「(帖)=(年齢)」にて記載)、葵=14歳、須磨=18or19歳、明石(後半。源氏の帰京)=20歳、若菜上=30〜歳。御 法=41歳(最後)です。ただし帖によって変わります。また、資料文献によっても若干、異なります。紫の上と源氏の年齢差は一般的に8歳差です。[たー坊]
・主な帖での年齢(「(帖)=(年齢)」にて記載)ですと、葵=14歳、須磨=18・19歳、明石(後半。源氏の帰京)=20歳、若菜上=30〜歳。御 法=41歳(最後)です。ただし帖によって変わります(「一つの帖で一年以上、年月が経っている」などで)。また、資料文献で異なることがあります。紫の 上と源氏の年齢差は一般的に8歳差です。[たー坊(訂正)]
・はやさん、たー坊さん、有り難う御座います!理解できました。[華南]


華南
さんの疑問
本当に祈祷で病気が治せたんですか?

・気休め程度ですが現代でも病は気から、とは言います。今よりは魂の存在が重く見られていたでしょうが、人々は加持祈祷の必要性を逆手にとって案外利用していたりしたようです。[はや]
・そうですね。はやさんのおっしゃるとおり気休め程度といったところでしょうね。もちろん、利用もしていたでしょう。たぶん、そんなに重くない病気なら精神的な面で効果を発揮したとは思いますが。[朝月]
・皆さん有り難う御座いました。[華南]


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