源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱A2

「げんじろーど」に集う
素晴らしい仲間が回答してくれました。
ありがとうございますm(__)m


さんの疑問
教えてください。冒頭で、「女御更衣あまたさぶらひ給ひける」とありますが、女御・更衣はそれぞれ何人ぐらいいたのでしょうか。

・定員はそれぞれ女御4人、更衣5人らしいですが、そのほか尚侍は2人。更衣に関しては史実では帝の一存で十数名まで増えたこともあるようです。ただ、桐 壺更衣がなくなった後も、評判の人を召しだした、とありますから、桐壺の冒頭では女御が二、三人。更衣も四、五人。あとは女官や女房たちが大勢いた、と考 えたのでいいのでは?[はや]


華奈
さんの疑問
藤つぼの中宮と冷泉天皇は紫の上の存在を知っている・Pr

・知っていると思いますよ。藤壺の宮は紫の上が裳儀を行い、源氏と結婚した時お祝いの品を送っているくらいですから。[朝月]


花散里
さんの疑問
紫式部が「源氏物語」の中で、「竹取物語」の事を、「物語の出で来はじめの祖」というのは、本当ですか?

・本当です。絵合の巻に書かれています。[まぽりん]
・渋谷源氏のページの「絵合」第2章第4段にありますので、目を通してみてください。[まぽりん]
・http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text17.html#in24 です。[まぽりん]
・まぽりんさん、ありがとございます〜☆♪[花散里]
・竹取物語がかなり昔からあったことは事実のようですが、現在一番古い竹取物語の写本が1590年頃のもので、当時の正確な全貌はわからないようです。[飛香]


よし
さんの疑問
六条御息所の生涯について、三部にわけて書くとしたらどのようにわけたらいいですかね?

・@源氏との出会い、夜離れの悩み A生霊となり、葵の上たちを苦しめ、伊勢へと去る B死してもなお現世に執着する御息所[まぽりん]
・こんな感じでしょうか。あの、こういった質問ならば、源氏掲示板でなさったほうが沢山の返事がつくと思うのですが・・・。[まぽりん]
・まぽりんさんホントありがとうございます。次からは源氏掲示板の方を利用します。[よし]


花散里
さんの疑問
↓の質問間違えてしまってすみません。六の君って夕霧君と誰の子供ですか?

・藤典侍です。[福]
・福さんありがとうございます!!!!!![花散里]


トミー
さんの疑問
桐壺更衣と藤壺女御とは瓜二つだったようですが、更衣の父親である故按察大納言と、女御の兄である兵部卿宮の、義理の父である故按察大納言とは、同一人物ですか?

・同じ役職についていたまったく違う人物です。[はや]
・物語では登場人物は役職などでよばれますので、自然同一名称がでてきます。誰がどの巻のとき、どの位にいたのかなどを念頭において読むとわかりやすいですよ。[はや]


もも
さんの疑問
お初にお目にかかります   早速なんですが、源氏が生まれた時、桐壺の更衣様は、年齢が、おいくつだったのでしょうか?

・桐壺の更衣の年齢ははっきりと書かれておりません。ですが、当時の裳儀の年齢や入内の用意に費やされる期間を考えるとまだ十代だったのでは、と思います。[はや]
・ありがとうございます!あと一つだけ知りたいのですが、(申し訳ございません...)こうしてみると、桐壺の更衣さまは、お亡くなりになられたのも、十代だったのでしょうか?本当に、申し訳ございません。[もも]
・はっきりとはいえませんが年齢を高く見ても二十代前半だと思うのでももさんのいわれる可能性がないわけではありません。私の勝手なイメージですが(笑)、死んだとき桐壺更衣は19〜23くらいかなと。あくまで勝手な思い込みですが。[はや]
・寂聴さんの本に20歳って書いてありましたよ。[華南]
・すみません!桐壺の更衣が死んだのが20歳です。源氏が3歳の時に死んだのですから、多分17歳じゃないかと。[華南]
・華南さんの書き込みですが寂聴氏の本は訳によって、読みやすいよう、想像しやすいよう、氏の個人見解や設定が入っているものがありますのでもしよろしければ、どの源氏本か教えていただけますか?[はや]
・華南さんと同じで、二十歳だと思います。確か「女人源氏物語」で見た覚えがあります。[常夏]


key
さんの疑問
なぜ夕顔は殺されなくてはいけなかったのですか?

・やはり、六条御息所の強い嫉妬の念からでしょうか。[葵]
・六条の方は、多分物語一嫉妬深い人で、他にも、葵の上、紫の上女三宮にも、危害を加えているとのことです。(こわ〜〜)[もも]
・夕顔を取り殺した怨霊=六条御息所という考えは、葵を取り殺したのが彼女だったことからのこじつけがあります。夕顔を連れ込んだ屋敷は荒れ果てていて物 語中にもなにか怪しい気配がありいかにも物の怪がでそうな、と書かれておりますので、その屋敷にゆかりの物の怪だったとも言われています。[はや]
・何故死ななければいけなかったか、ですが、源氏は傲慢ともいえる態度でこのころ様々な女性と関係を持っていました。そのような源氏に対し、拒否、あるいは成就しない恋というのが書かれているのもこの頃では。(空蝉、藤壺など)[はや]
・また夕顔は頭中将の愛人です。夕顔が死なずに生きていたら、源氏と中将の間で何がしかの争いもあったことでしょう。そういった煩雑さを避けるため、また物語に幽玄さを持たせる要素でもあったのではと思われます。[はや]


ゆま
さんの疑問
夕霧は一日ごとに雲居の雁のところと落ち葉の宮のところへ通っていたらしいですが、それでは藤内侍はどうしていたのでしょうか?

・彼女の身分では夕霧と結婚は出来ませんから、子供はありながらも後宮に勤めていました。[葵]
・結婚ができない、というわけではなく婚姻関係に準ずる関係は周知の事実で子供たちも世間に認められていたようです。律儀に半々に通っていたといっても、双方の都合や仕事、当時の方忌みなど事情のあるときは彼女のところを訪ねることもあったでしょう。[はや]
・葵さま、はやさま、ありがとうございました。疑問が解けてよかったです。[ゆま]
・まだお互い子供だった頃からの関係で、かつ宇治十帖においても夕霧の最愛の娘である六ノ君の生母でもある彼女がないがしろにされるとは考えにくいですね[よし]


ププ
さんの疑問
頭中将と源氏の年齢差はいくつなのでしょうか?4歳以上ですよね?また他の人物と源氏の年齢差もよろしければ教えて下さい。

・源氏と頭中将の年齢差についての記載はありません。源氏と関係がある女人(一部)のみ書いておきます(私が有している資料から)。カッコ内は源氏との年齢差です。藤壺(5歳上)、六条御息所(7つ上)、明石の上(9つ下)、紫の上(8つ下)。[たー坊]
・ありがとうございました。参考になりました。[ププ]
・確かどこかの本に五歳年上という記述がありました。確かに五歳以上の年の差の親友と言うのは珍しいので五歳程度が妥当だと思います(私的意見ですみません)[ゆま]
・葵の上の兄なので、5〜6歳以上年上なのでは…?[華南]
・葵の上は、4歳年上なので7〜9位だと思います。[花散里]


まぽりん
さんの疑問
「若紫」の最後のほうにある、「朝ぼらけ・・・」「立ち止まり・・・」 の和歌のやりとりについてですが、源氏が向かった先は六条の御息所のところでしょうか?それとも他の女性でしょうか?少し前のところに、源氏が「六条京極 わたり」へお忍びで行っていたので気になりました。

・「朝ぼらけ・・・」「立ち止まり・・・」の和歌については不明ですが、六条京極に住んでいる六条御息所の許に通っていたようです。その道中に若紫(紫の上)の実家に寄っているようです(出典:田辺聖子 「新源氏物語」)。[たー坊]
・ただし、青表紙本系(大島本)には六条御息所についての記載はありません。「『六条京極』に若紫(紫の上)の実家がある」様な記載があります。  http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text05.html (←原文) http: //www.sainet.or.jp/~eshibuya/version05.html (←現代語訳)[たー坊]
・ただし原文(青表紙本系[大島本])には六条御息所についての記載はありません。「六条京極に、お忍びで通っていた所がある」様な表記のみです。また、 「『六条京極』に若紫(紫の上)の実家がある」様な記載があります。 http://www.sainet.or.jp/~eshibuya /text05.html (←原文) http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/version05.html (←現代 語訳)[[たー坊(訂正)]
・たー坊さま、わざわざ調べてくださってどうもありがとうございます。参考になりました。ところで、また質問するようで申し訳ありませんが、「朝ぼら け・・・」の和歌は六条御息所(またはその女房)が詠んだとする説と、全く違う女性(エキストラ?)が詠んだとする説があるのですが、どちらの解釈が多い でしょうか?[まぽりん]



さんの疑問
空蝉は何で薄着を脱いで逃げたのでしょうか?やはり何か源氏に対して残したかったのでしょうか?単純な質問ですみません。

・来ているものの衣擦れの音で自分の居場所が分かってしまうことをおそれたのと、逃げるときに身軽になるためだと思います。長くずるずるした着物を着込ん でいればそれだけ拘束されやすいわけですし。ですから源氏にその衣がわたったのは、物語の構成上は必要であったかもしれませんが、登場人物たちのとった行 動としては副次的なものだと思います。[はや]
・はやさん、有難う御座いました。。とっても参考になりましたぁ。ほんとに有難う御座います。[豆]


小波
さんの疑問
宇治〜のその後、薫に子供はできたのでしょうか?

・「雲隠六帖」という「雲隠」と「夢浮橋」帖、以降の内容の作品では5人の子を有していますが、正編(夢浮橋の帖まで)では子についての記載はありません。[たー坊]
・「雲隠六帖」という「雲隠」と「夢浮橋」帖以降を書いた作品では5人の子を有していますが、正編(夢浮橋の帖まで)では子についての記載はありません[たー坊(訂正)]
・たー坊さん、ありがとうございました。さらにお願いなのですがその子供は誰との子でどうなったのですか?[小波]
・↓の、うさこさんの質問(質問内容:雲隠六帖には、それぞれどんな内容が書かれているのですか?教えて下さい。 )で回答しましたのでそちらをご覧ください。[たー坊]
・すぐ下にありましたね・・・。申し訳ないです。ありがとうございましたm(_ _)m[小波]


ゆま
さんの疑問
明石の君は源氏よりも九歳年下とありますが、明石の帖で十数歳だそうですが、明石の前に確か明石の君の噂話が数年前に聞こえていた・・・のだそうですが、それはどういうことでしょうか?

・源氏の腹心、良清(源良清)からの話しで彼女を知りました。須磨の帖に書かれています。また、小説家の方などが書いた源氏物語(「○○源氏」の類)では、須磨以前の帖にそのことが書かれている場合があります。[たー坊]
・原作で帚木〜須磨までの帖を調べてみましたが、ご質問の件は須磨の帖のみ記載しているようです。資料引用元: http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/ (高千穂大学教授、渋谷栄一氏の個人ページより)[たー坊]
・「若紫」巻の始めのところに、明石の入道が娘に言い寄る男たち(良清も含む)をつっぱねている、と良清が源氏に言っています。[まぽりん]
・そのときの明石の君の年齢は成人に近かったらしいのですが、「明石」巻の明石の君の年齢や「若紫」巻における紫の上の年齢から見ても、おかしいところが あるので、これは紫式部さんの意図によるものかもしれません。 つまり、伏線として読者に印象付けるためとか何とか・・・。[まぽりん]
・確かに若紫で書かれていますね。まぽりん様ありがとうございます。[たー坊]
・お調べくださってありがとうございました、私だけがおかしく思っているのかと思っていましたが、これで少し明石の君のことについて、解決できそうです。たー坊さま、まぽりんさまありがとうございました。[ゆま]


ナリ
さんの疑問
初歩的で本当にすいません。この話を源氏が恋を多くしたのは、それぞれに魅力があったからだとまとめたんですが、これは内容から反れてますか?本当にすみません。

・そういう見方も出来ます。他に源氏が多くの女性に手を付けた利用に「藤壷の代わりを求めた」「桐壷更衣みたいな女性を求めた(マザコン的要素あり)」などいろいろと考えられ一概には言い切れません。[たー坊]
・↑の文中に「利用」と書きましたが、正しくは「理由」ですm(__)m 。[たー坊(訂正)]
・つまり、考え方は読む人次第です。[たー坊]
・私もたー坊さんの言うように、「藤壷の代わりを求めた」「桐壷更衣みたいな女性を求めた」と思います。源氏は母を早くに亡くして、寂しかったからこそ、自分の理想の女性を求めていったと思います。[はるか]
・いつか、何かの本で読んだのですが、源氏の女性遍歴は、  マザコン→ロリコンになったとか  (私は、そうじゃないと思います。)[もも]
・つけたしです。源氏の女性遍歴は、最初は、   藤壺様、夕顔様、空蝉様、六条の御息所様などなど年上の方を愛しますが、若紫の登場にて、考え方が変わり、紫の上、明石の上、朧月夜の君などを愛していきます。[もも]


戻る