源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱A1

「げんじろーど」に集う
素晴らしい仲間が回答してくれました。
ありがとうございますm(__)m

小波
さんの疑問
宇治〜のその後、薫に子供はできたのでしょうか?

・「雲隠六帖」という「雲隠」と「夢浮橋」帖以降を書いた作品では5人の子を有していますが、正編(夢浮橋の帖まで)では子についての記載はありません[たー坊]
・たー坊さん、ありがとうございました。さらにお願いなのですがその子供は誰との子でどうなったのですか?[小波]
・↓の、うさこさんの質問(質問内容:雲隠六帖には、それぞれどんな内容が書かれているのですか?教えて下さい。 )で回答しましたのでそちらをご覧ください。[たー坊]
・すぐ下にありましたね・・・。申し訳ないです。ありがとうございましたm(_ _)m[小波]


ゆま
さんの疑問
明石の君は源氏よりも九歳年下とありますが、明石の帖で十数歳だそうですが、明石の前に確か明石の君の噂話が数年前に聞こえていた・・・のだそうですが、それはどういうことでしょうか?

・源氏の腹心、良清(源良清)からの話しで彼女を知りました。須磨の帖に書かれています。また、小説家の方などが書いた源氏物語(「○○源氏」の類)では、須磨以前の帖にそのことが書かれている場合があります。[たー坊]
・原作で帚木〜須磨までの帖を調べてみましたが、ご質問の件は須磨の帖のみ記載しているようです。資料引用元: http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/ (高千穂大学教授、渋谷栄一氏の個人ページより)[たー坊]
・「若紫」巻の始めのところに、明石の入道が娘に言い寄る男たち(良清も含む)をつっぱねている、と良清が源氏に言っています。[まぽりん]
・そのときの明石の君の年齢は成人に近かったらしいのですが、「明石」巻の明石の君の年齢や「若紫」巻における紫の上の年齢から見ても、おかしいところが あるので、これは紫式部さんの意図によるものかもしれません。 つまり、伏線として読者に印象付けるためとか何とか・・・。[まぽりん]
・確かに若紫で書かれていますね。まぽりん様ありがとうございます。[たー坊]
・お調べくださってありがとうございました、私だけがおかしく思っているのかと思っていましたが、これで少し明石の君のことについて、解決できそうです。たー坊さま、まぽりんさまありがとうございました。[ゆま]


ナリ
さんの疑問
初歩的で本当にすいません。この話を源氏が恋を多くしたのは、それぞれに魅力があったからだとまとめたんですが、これは内容から反れてますか?本当にすみません。

・そういう見方も出来ます。他に源氏が多くの女性に手を付けた利用に「藤壷の代わりを求めた」「桐壷更衣みたいな女性を求めた(マザコン的要素あり)」などいろいろと考えられ一概には言い切れません。[たー坊]
・↑の文中に「利用」と書きましたが、正しくは「理由」ですm(__)m 。[たー坊(訂正)]
・つまり、考え方は読む人次第です。[たー坊]
・私もたー坊さんの言うように、「藤壷の代わりを求めた」「桐壷更衣みたいな女性を求めた」と思います。源氏は母を早くに亡くして、寂しかったからこそ、自分の理想の女性を求めていったと思います。[はるか]
・いつか、何かの本で読んだのですが、源氏の女性遍歴は、  マザコン→ロリコンになったとか  (私は、そうじゃないと思います。)[もも]
・つけたしです。源氏の女性遍歴は、最初は、   藤壺様、夕顔様、空蝉様、六条の御息所様などなど年上の方を愛しますが、若紫の登場にて、考え方が変わり、紫の上、明石の上、朧月夜の君などを愛していきます。[もも]


えな
さんの疑問
すみません。げんぶんにもないと思いますが、源氏の誕生日は、いつなのでしょうか?ほかの人でもいいですから、知っている人は、教えていただけないでしょうか。

・調べていないので分かりませんが、登場人物の誕生日の記載はないと思います。当時は正月が来れば齢を一つ取る、数え年でした。ただ、原文に記載されてい る内容である程度は誕生日とまでとはいきませんが時期が分かります。例えば夕霧は秋頃(初秋?〜秋?)の生まれと考えることもできます。[たー坊]
・明石の中宮は三月十六日生まれのようです。[たー坊]
・明石の中宮は第一子を三月十日頃に出産しているようです。なお、これらの資料は高千穂大学教授、渋谷栄一氏の個人ページを参考にしました。調べれば他も分かるかもしれません。[たー坊]
・高千穂大学教授、渋谷栄一氏のページ: http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/ [たー坊]
・たー坊さん、いつもいつも、本当にありがとうございます!!たー坊さんは、とってもものしりなんですね![えな]


えな
さんの疑問
私は、お絵かき掲示板Gを見ていました。そして、きょんさんの絵を見ていたら、コメントのところに、「ちい姫」と書かれていたんですが、誰のことなのでしょうか。母の名や、父の名まで教えていただけると、うれしいです。

・明石の上の娘(父親は源氏)です。他に「明石の中宮」「明石の姫」とかの呼び名もあります。[たー坊]
・そうだったんですか。明石の姫君には、そうゆう呼び方もあったんですね。たー坊さん、本当にありがとうございました!![えな]
・「ちい姫」は今上帝の中宮になった「明石の中宮」のことです。小さいころは「明石の姫君」と呼ばれていました。父は、「光源氏」、母は、「明石の上」で す。母、明石の上のもとで育ったのは、明石の中宮が、まだ3歳の時までなんです。あとは、父の光源氏が、自分の邸にひきとって、光源氏がいちばん愛した女 性、紫の上にまだ小さい明石の中宮を育てさせました。要するに明石の中宮は入内するまでは、紫の上の養女だったのです。                            [あすか]


たー坊
さんの疑問
源氏と夕顔の逢瀬の時に彼女(夕顔)は物の怪によって殺されてしまいましたが彼女の遺体はその後どうなったのでしょうか?原作に書いてないのですよね。なんか平安時代の裏事情みたいのを感じますが・・・。

・確か惟光がうまいことやってくれたのではなかったでしょうか。[梨壺]
・今回、あえて原作に無い事をお聞きしたこと、お詫び申し上げます。今回の質問はその後どうなったのか皆様からのご意見を聞きたい思いで質問したものでした。梨壷様、ありがとうございました。[たー坊]
・惟光の兄が僧でその人と惟光が山?で葬儀を行なってその後手厚く供養をしたとどこかに書いてありました。[ゆま]


さり
さんの疑問
葵の上と源氏は4つちがいなんですよね?源氏と他の女人とはどのくらい年の差があったのでしょうか?初心者なため初歩的なことをお聞きするようで申し訳ないのですが宜しくお願い致します

・あくまで私が有している資料で源氏が手を付けた女性の源氏との年齢差は藤壺=5つ上、紫の上=8つ下、明石の上=9つ下、六条御息所=7つ上、女三の 宮=(およそ)26つ下となっています。おまけですが息子の夕霧では雲居雁が2つ上で他も1〜2才位、年上だったと考えられます。[たー坊]
・すいません。上記の回答ですが、夕霧が手を付けた女二の宮は夕霧より年上とは限らないかもしれません。[たー坊]
・たー坊さま、ありがとうございます(^−^)紫の上より明石の上のほうが年下なんですねぇ、明石の上のほうが落ち着いたイメージがあったので逆だと思っ ていました・・・。雲居の雁が姉さん女房だった事も驚きです、勉強になります。夕顔、花散里、末摘花、朧月夜、空蝉・・・他の登場人物との年の差とか、も しもしご存知でお手すきでしたら教えて下さると嬉しいですっ♪しかしこう書くとどんだけ手つけてんねん!ってカンジですね〜みんなと肉体関係があったので しょう!?[さり]
・夕顔、花散里、末摘花、朧月夜、空蝉とは回数などに差があるものの源氏との関係はありました(あります)。年齢については物語上では触れられていませんので不明ですが全員、源氏より年下だったと考えられます(空蝉あたりが疑問ですが)。[たー坊]
・上記の夕顔、花散里、末摘花、朧月夜、空蝉の年齢ですが「物語上では触れられておらず不明です。」に変更させてもらいます。お手数おかけしました。[たー坊]
・たー坊さま、とんでもないです、ありがとうございましたっ(^−^)[さり]
・夕顔は源氏より2才年上です[蓮華]


うさこ
さんの疑問
雲隠六帖には、それぞれどんな内容が書かれているのですか?教えて下さい。

・源氏の最後と夢浮橋以降の項目が書かれています。薫は内大臣までなっているようで、匂宮は帝までなっています。ちばにみ浮舟は薫の妻になっており妻妾は 女二の宮、宮の君(源氏の弟の娘)、浮舟、小宰相の君(他に按察君というのが出たりします)で間の子の数は5人となっています。最終的に薫は出家し没した 後の薫の子の事まで書かれています。[たー坊]
・たー坊さん、有難うございます。夢浮橋以降の話しも読んでみたいです。。本とかあるのですか?もしよかったら教えて下さい。それから、上記二重書き込みになってしまて管理人さますみません。。[うさこ]
・匂宮三帖(匂宮〜竹河)、宇治十帖は紫式部が作者でない説がありますが、雲隠六帖はあきらかに別人(作者不明)が書いていますので、正直、メジャーな扱 いがされていません。関連書物については少ないです。書店ですと紀伊国屋や丸善などでないと見つかりにくいですし、図書館では各市区町村立図書館でも所蔵 してない場合も大いにありますし、各都道府県立図書館以上でも保証はできません。現に私も有していません。あくまでも上記の回答は私の記憶によるもので す。上記の回答についてご理解とご了承のほど、よろしくお願いします。万一、誤りがありましたなら、その点、お詫び申し上げます。[たー坊]
・たー坊さん詳しく教えていただき有難うございました。頑張って探してみますね。ちなみに5人の子のお母さんは誰なんですか?覚えていらっしゃったら教えて下さい。何度もごめんなさい。[うさこ]
・子の内訳ですが、浮舟腹が2名(男女)です。後の3人の妻妾には各1人で男女比は忘れました(そんなに重要では無い気が・・・)。ちなみに「按察君」は 出ていないようです。なにしろ私自身↓の通りなので・・・。ちなみに雲隠十帖中に出てくる薫の息子は浮舟腹だったような・・・。さらに、ちなみにですが晩 年に薫は浮舟と一緒に出家しました(だったような・・・)。薫が自分の妻妾の中で愛したのは彼女でした。こんなもんでご勘弁願います(^_^; ) m(_ _)m 。[たー坊]
・有難うございました。興味があったのでいろいろきいてしまってごめんなさい。(^^;)[うさこ]


たー坊
さんの疑問
雲隠六帖「巣守」の帖(巻)にて薫は、後に薫の妻(側室?)となる宮の君(父親は「蜻蛉式部卿の宮」。源氏の弟)と手を組み、匂宮に復讐をする事が書かれていますが、復讐の意図と行為についてお願いします。

・皆さんが答えやすいように、雲隠六帖のあらすじを書いて頂けませんか?[快斗]
・たー坊さんが上で投稿されているように、なかなか手にすることがないと思いますので[快斗]
・まず、今回極めて難しいことをお聞きして皆様にご迷惑をおかけたこと深くお詫び申し上げます。快斗様のご要望の「あらすじ」でございますが、上記(うさ こ様の項目)を書くのに自分の記憶をつたなさのせいか、これ以上は思い出せませんでした。第一、当時見た資料は読むのに苦労した物でした(古典文法を熟知 している必要がありました。また関連文献は現在、書店にありませんでした)。その為、これ以上「あらすじ」を書くことは出来ません。誠に申し訳ありません でした。なお、今回の質問は最終的に回答が無くても異論などはございません。最後に皆様にご迷惑おかけしたこと深くお詫び申し上げます。[たー坊]
・復習のことは私も知りませんが、確か「巣守」では、冷泉院が出家するんです。[杏中宮]
・もう少し調べてましたが、今上帝が退位をするのですが、東宮・二宮に即位の意志がなくて匂宮が帝になるんです。そして、あの中君はふじつぼ[杏中宮]
・ごめんなさい、Enterキー押しすぎました。中君が藤壺女御(後、中宮)になるそうです。[杏中宮]


ユキ
さんの疑問
源氏物語には登場人物が340人いると聞きましたが本当ですか?(脇役も数えて 全部

・「源氏物語」については、次のページに記載されている事により内容が散逸してしまっている事があるので明確には不明です。また、読む人や研究者の見解に よって細部が異なったりします。 http://www.mori-gatari.com/g_susume/main_01_honmon.html [たー坊]


ユキ
さんの疑問
生涯、正妻になったのは葵の上と、紫の上と女三の宮の3人ですか?

・正妻は葵の上と女三の宮です。紫の上との間には正式な婚姻関係はありませんでした。ただ、愛人というよりも、「正妻格の女性」といった具合です。[たー坊]
・紫の上は、明石の君や花散里と同じく側室でした。ただ源氏に最も深く愛されたため、「正妻格の妻」になったってカンジなんです。[春菜]
・紫の上は正妻ではありませんでしたが「側室」あるいは「妾」というよりは、「正妻でない妻」ということになると思います。花散里、末摘花も同様だと思われます。明石の君に関しては、よくみて愛人、ただし当時の扱いで言うなら愛人以下の召人かと思われます。[はや]
・平安時代の婚姻について多くの研究者が論じられていますが、未だに解明されてはいません。現状では、工藤重矩氏の<律令制に基づいて、一夫一妻制で多妾 が許された状態であった=紫上は妾>という説と、胡潔氏の<当時は妻と妾を区別する規定がなく、男性は妻の一人を「同居し家政を任せる最優位の妻=正妻」 として選んだ=紫上は正妻>という説があります。どちらの方も【風間書房】から刊行されているので、是非御一読を。又、源氏物語以外の平安文学作品・当時 の貴族の漢文日記等もお読みになって、ユキ様御自身の解釈、というものを見つけてみて下さい。[A.M]


ユキ
さんの疑問
光源氏と玉鬘の関係は?でも、光源氏は好きになったんですよね?

・玉鬘は「源氏の養女」という関係です。確かに源氏は好きでした(けど、盗られましたけど)。[たー坊]
・玉鬘は「源氏の養女」という関係です。確かに源氏は彼女のことが好きでした(けど、盗られましたけど)。[たー坊(訂正)]
・たー坊さんのおっしゃるように、玉鬘は源氏の養女です。夕顔と頭中将との娘なのですが、夕顔の遺児ということで六条院にひきとったって訳です。[春菜]


まき
さんの疑問
本当にごめんなさい。またまちがえてしまいました。改行しようとしてエ ンターキーを押したら送信されてしまいました。改めて質問させてください。女御・更衣付きの女房たちというのはそれなりに身分の高い女性達だったとおもう のですが、どういう人たちが選ばれたのでしょう。また、仕事をしなければならないので、公達の前に顔を晒していたのでしょうか。扇で顔を隠していては仕事 になりませんよね?髪の毛は動きやすいように束ねていたようですが、顔はどうしていたのかなー?と疑問に思いました。また尚侍なども身分は高いようです が、仕事をしていると言う事でやはり顔を隠す事はなかったのでしょうか(宮中に参内した男性の前に出ることもあったのでしょうか。)それともう一つ、過去 の質問のお答えに女御様入内の際は40人もの女房を連れて行ったと言う記録があると言うことでしたが、女房にもさらに使用人がいるために膨大な人数になっ たと思うのですが、みんな一つ屋根の下で暮らしていたのでしょうか。長くなって申し訳ありません。お答えいただければ幸いです。

・全てについての解答はできませんが、質問事項の「みんな一つ屋根の下で暮らしていたのでしょうか。」についてお答えします。全ての女房が宮中に住んでい たわけではありません。女房の中には夫と子がいる身のもいます。最終的に申しますと、女房の中には家から通勤しているのもいます。藤典侍もそうだったみた いです。[たー坊]
・全てについての解答はできませんが、質問事項の「みんな一つ屋根の下で暮らしていたのでしょうか。」についてお答えします。全ての女房が宮中に住んでい たわけではありません。女房の中には夫と子がいる身のもいます。最終的に申しますと、女房の中には家から通勤しているのも多くいます(いました)。藤典侍 もそうだったみたいです。また、宮中での女房も御簾の内側で仕事をしているのが多かったようです。清少納言の「枕草子」にはそうと思える記載があります。[たー坊(訂正)]
・たー坊さま、早速のお答えありがとうございました!家から通勤している女房がいた、また藤典侍もそうだったみたいだというのは初めてしりました。「夕霧 が藤典侍の所に通っていた」というのはてっきり宮中に通っているものだとばかり思っていました(でもそれじゃおかしいですもんね)。仕事も御簾の内側が多 かったとの事、詳しくお答えいただき、ありがとうございました。[まき]


亜有子
さんの疑問
散逸した「雲隠六帖」 ってどこの部分にあたる話なのでしょうか??

・巻名のみの「雲隠」の部分、つまり源氏の最後と「夢浮橋」以降の部分が書かれています。[たー坊]
・たー坊さん、ありがとうございました![亜有子]


めけち
さんの疑問
源氏物語にちなんだ「能」や「歌舞伎」でおすすめを教えてください。

・ビデオでしか見てないので恐縮ですが、源氏能の「葵上」が印象的でした。衣をかぶって出てくる御息所が、般若の面をさらす所とか・・・能にしては動きが激しくて迫力ありますよ。[えるるん]
・実際に見たことは無いのですが歌舞伎では「末摘花」の演目があります。[たー坊]
・北条秀司の末摘花が泣けます。セリフも原作の雰囲気をそこなわない程度に現代の話し言葉になっており、わかりやすいです。[けや木屋小さん]
・えるるんさん、たー坊さん、けや木屋小さん、ありがとうございました![めけち]


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