源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱6

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m

桔梗
さんの疑問
雲居の雁の母親は、皇室の出だと書いてありますが、誰の娘なのでしょう?頭の中将の側室だから、結構、いい方の娘?

・親王名の記載はありません。ただ、再婚先を考えると相応の身分だったと考えられます。[たー坊]


若紫
さんの疑問
藤の典待は最後まで後宮にいたのでしょうか

・冷泉帝の典待だったので最後までいないのでは・・・と考えられます。[たー坊]
・>たー坊さんへ 典侍は女官で、一代の御世で交代というわけではないですよ。源典侍や藤壺を桐壺帝に紹介した典侍を思い出してください。[こうめ]
・えと、言葉足らずでごめんなさい。藤典侍の最後は記述にはなかったと思います。が、冷泉帝一代で女官の地位を降りたとも考えられないと思います。[こうめ]


早乙女
さんの疑問
秋好中宮・冷泉帝・弘徽殿女御は最後どうなったのですか?

・竹河巻に書かれてます。玉鬘の長女が冷泉院に参院し、寵愛を受けて2人の子供を産んだことで、中宮と弘徽殿は不満に思う・・・てな所で終わってます。[えるるん]
・えるるんさん、有難うございました。[早乙女]


さくら
さんの疑問
末摘花は最後どうなったのですか?

・「蓬生」以降の登場はありません。おそらく、平凡な人生だったと思います。[たー坊]
・末摘花の死を示すような記述はありません。若菜上で久しく病になっている、という記述で最後です。[えるるん]
・↑は源氏が紫の上に言った朧月夜の所へ行く口実でしたね。[たー坊]


えりか
さんの疑問
夕霧はいつ左大臣に紅梅はいつ右大臣になったんですか。

・「竹河」の巻でなっています。[たー坊]
・宿木巻で紅梅が大納言のままなのは何故ですか。[えりか]
・↑竹河巻で夕霧と紅梅の昇進が書かれているのに、何故か時間的にも後の宿木巻では昇進前の記述だ、ということですね。これは疑問が多い所で、ハッキリ 言ってしまえばミスとも矛盾とも言える箇所です。竹河巻の存在の根本までさかのぼる問題ですね。匂宮三帖は後付け的な要素が濃いですし・・・。[えるるん]
・回答ありがとうございます。[えりか]


ナナ
さんの疑問
花散里って、源氏の何なんですか?側室?それとも愛人扱い?結婚はしてないと思ったのですが。

・正式ではないですが、男女の関係は(昔は)あったので、婚姻関係であったのではないでしょうか。というか、側室と愛人はどう違うのでしょうか?[こうめ]
・花散里は源氏の側室で婚姻関係があったと思います。「側室」は婚姻関係があり、「愛人」は婚姻関係がありません。以外にも紫の上も正式な婚姻関係がない ので「愛人」としての地位になっています。ただ、源氏にとって最愛の女人であり「正妻格」なので「愛人」としてのイメージはありませんが・・・。[たー坊]
・北の方ではないけれど何人もいる「妻」の一人でしょう。[はや]
・ありがとうございました。紫の上が「愛人」だなんて、意外でした。重ねて質問になってしまうのですが、その時代の婚姻関係というのはどういうことなんでしょうか?3日続けて通っただけでは、正式な婚姻関係とはいえないのですか?[ナナ]
・3日目の夜餅を飾ります。これは三日夜の餅といい、これを夫婦が食べます。その後、新婦側の主催で露顕(ところあらわし)という披露宴が行われます。こ れは新婦側の親類縁故が呼ばれるもので、新郎が始めて新婦の下に通うということを公式にするものです。この2つが正式な婚姻となる儀式だったと思います。[こうめ]
・入力ミスです。「新郎が始めて」ではなく、「新郎が初めて」です。すいません(汗)[こうめ]
・こうめさん、ありがとうございます。[ナナ]



さんの疑問
頭の中将には、どんな妻がいるのですか?後、娘、または息子の生母も書いてください。

・まず正妻に右大臣の四の君がいます。彼女の産んだ子供は弘徽殿女御、柏木、紅梅大納言です。雲居の雁を生んだ方は離婚して按察使大納言と 再婚した方です。近江の君は「下の品」の出なので母の出生は詳しくかかれていません。頭中将はいろんなところで遊んでいた方なので、まだ書かれていないと ころにも子供がいるらしい、というようなことがほのめかされていた気がします。[こうめ]
・すいません、大事な方を忘れていました(汗)周知の通り、玉鬘は夕顔の娘です。[こうめ]
・ちなみに、年齢は上から、玉鬘、柏木、紅梅、弘徽殿女御、雲居の雁です。近江君はどなたかが書かれていたように、記述がないので定かではありません。[こうめ]
・妻ではないですが、夕顔は、愛されて養われていました。その娘が、玉鬘です。ちなみに、雲居の雁の母親は、皇家の出で[桔梗]
・すみません、↑の続きです。雲居の雁の母は、皇家の出で、身分は、すごく、良かったみたいです。[桔梗]
・ありがとうございました。[松]


雲居の雁
さんの疑問
ある源氏物語では「ろくじょうのみやすんどころ」だったり「ろくじょうのみやすどころ」だったりしますが、正しい呼び方はなんですか?

・六条の御息所ですよ[若紫]
・どちらも合っていると思います。どちらも御息所の読み方です。[こうめ]
・↑の方同じです。本によってちがったりしますがどちらもあっていると思います。[桃梅桜]
・↑あっ「と」が抜けてました。すみません(汗)[桃梅桜]


うさこ
さんの疑問
玉鬘と弘徽殿女御はどちらが年上なのですか?また玉鬘と弘徽殿女御と雲居雁の年齢差を教えてください。

・玉鬘>弘徽殿女御>雲居雁です。左から3歳、2歳の差となっています。[たー坊]
・ありがとうございます![うさこ]


若紫
さんの疑問
匂宮は、浮舟が薫の愛人なのにどんな根拠でとったりしたんでしょうか?(中の君もいるのに)

・薫へのライバル心からのも要因の一つです。[たー坊]
・それまで真面目一辺倒だった薫が愛した女だから、という気持ちもあったでしょうね。美しい中の君の妹、というのもあったでしょうが。浮舟が薫の愛人じゃなかったら、あそこまで思いつめて無理矢理…ということはなかったかもしれません。[美凪]
・まだ薫と浮舟が会っていないときに匂の宮が自分の屋敷で見つけましたよね?それがもとで浮舟自身を愛していたのではないでしょうか・・・[紗瑜]



さんの疑問
なぜ、秋好中宮は、冷泉帝の中宮【女御】になったのでしょうか。

・それは、源氏が朱雀院のところへと思ったけれど、朧月夜がいるし、後宮にもしっかりした人がいてもいいし、冷泉帝のおもりやくといってもいいからじゃないんですか?後宮もすくないし・・・[若紫]
・母の御息所が、「私のように、あのような恋の苦しい思いは、決して宮だけには、あじあわせないで!」と、いうとことを、源氏に頼んで亡くなりました。そ の遺言のもと、一時は、朱雀院の後宮に入れることも考えましたが、院が病気がちで、朧月夜という寵妃もいることから、幼い冷泉帝の後見も兼ねてということ で、入内しました。[桔梗]
・ありがとうございました。[松]


若紫
さんの疑問
なぜ「雲隠れ」は存在したりしなかったりするんでしょうか?

・「あるのでは」と論議にもなったりします。紫式部自書の「源氏物語」自体が存在してないので謎になっています。ちなみに「雲隠六帖」という別の人が書いたのがあります。[たー坊]
・「雲隠れ」は、藤原定家の時代には既に現物は存在せず、巻名のみ残っていたようです。そのため、最初から巻名しかなかったか、それとも本文もあったのに 散逸してしまったのかが不明です。(偉そうなこと言ってますが、時代が微妙にずれているかもしれません。戦国以前なのは確かですが。間違ってたら、どなた か訂正お願いします。)[美凪]


たー坊
さんの疑問
紫式部自書の「源氏物語」が実在していません。その為、文献資料によっては若干の異なりが出ています。国文学の世界(学会)などでは誰が調べて書いた「源氏物語」が信憑性が高いとされているのでしょうか。「大島本」が正統と聞いたことがあるのですが・・・。

・鎌倉時代に藤原定家が書いたのが現存するのでは最古と言われていますが・・・。[たー坊]
・たー坊さまのおっしゃる通り、紫式部自筆の源氏物語の原文というものは現存しておらず、現在私たちが目にしている源氏物語は、鎌倉時代初期に原文と思わ れるものを集め、整理されてできた写本です。この写本は大きく分けて、藤原定家(ふじわらのていか)らが校訂した「青表紙本系(あおびょうしぼんけい)」 (表紙が青いのでこう呼ばれています。)、源光行(みなもとのみつゆき)・親行(ちかゆき)親子らが校訂した「河内本系(かわちぼんけい)」(親子が河内 の守であったことからこう呼ばれています。)、そのどちらにも属さない「別本(べっぽん)」の3つに分けられ、その中でも、「青表紙本系」が比較的本文に 近いと言われており、私たちが日頃目にする源氏物語のほとんどが、この「青表紙本系」です。たー坊さまのおっしゃられている「大島本」(かつての所蔵者の お名前からとっています。)は「青表紙本系」に属し、現在、もっとも優れた写本と言われているものです。[Miyabi]
・青表紙本系が正統に近いといわれていましたがどうやらそのようですね。回答ありがとうございました。[たー坊]


えりか
さんの疑問
頭の中将の子供の柏木と弘徽殿の女御はどっちが年上ですか。

・柏木のようです。2歳差だそうです。[たー坊]
・たー坊さん、ありがとうございます。[えりか]


えりか
さんの疑問
源氏物語の中に出てくる藤原氏の中にも氏の長者はいるんですか。

・いると思いますが誰々とは明言されておりませんね。[はや]
・(藤原氏であろう)左大臣家の頭中将が脇役に回っていること、紫式部の時代は摂関政治の時代であるにも関わらず物語中は天皇親政時代に設定されているこ と、等を考えると、紫式部が書こうとしていたのは天皇家周辺に視点をあてたものだと思います。氏の長者はいたと思いますが、物語中に書くほど重視はしてい なかったのではないでしょうか。[美凪]
・回答ありがとうございます。[えりか]

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