源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱20

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m


さり
さんの疑問
葵の上と源氏は4つちがいなんですよね?源氏と他の女人とはどのくらい年の差があったのでしょうか?初心者なため初歩的なことをお聞きするようで申し訳ないのですが宜しくお願い致します

・あくまで私が有している資料で源氏が手を付けた女性の源氏との年齢差は藤壺=5つ上、紫の上=8つ下、明石の上=9つ下、六条御息所=7 つ上、女三の宮=(およそ)26つ下となっています。おまけですが息子の夕霧では雲居雁が2つ上で他も1〜2才位、年上だったと考えられます。[たー坊]
・すいません。上記の回答ですが、夕霧が手を付けた女二の宮は夕霧より年上とは限らないかもしれません。[たー坊]
・たー坊さま、ありがとうございます(^−^)紫の上より明石の上のほうが年下なんですねぇ、明石の上のほうが落ち着いたイメージがあったので逆だと思っ ていました・・・。雲居の雁が姉さん女房だった事も驚きです、勉強になります。夕顔、花散里、末摘花、朧月夜、空蝉・・・他の登場人物との年の差とか、も しもしご存知でお手すきでしたら教えて下さると嬉しいですっ♪しかしこう書くとどんだけ手つけてんねん!ってカンジですね〜みんなと肉体関係があったので しょう!?[さり]
・夕顔、花散里、末摘花、朧月夜、空蝉とは回数などに差があるものの源氏との関係はありました(あります)。年齢については物語上では触れられていませんので不明ですが全員、源氏より年下だったと考えられます(空蝉あたりが疑問ですが)。[たー坊]
・上記の夕顔、花散里、末摘花、朧月夜、空蝉の年齢ですが「物語上では触れられておらず不明です。」に変更させてもらいます。お手数おかけしました。[たー坊]
・たー坊さま、とんでもないです、ありがとうございましたっ(^−^)[さり]


うさこ
さんの疑問
雲隠六帖には、それぞれどんな内容が書かれているのですか?教えて下さい。

・源氏の最後と夢浮橋以降の項目が書かれています。薫は内大臣までなっているようで、匂宮は帝までなっています。ちばにみ浮舟は薫の妻に なっており妻妾は女二の宮、宮の君(源氏の弟の娘)、浮舟、小宰相の君(他に按察君というのが出たりします)で間の子の数は5人となっています。最終的に 薫は出家し没した後の薫の子の事まで書かれています。[たー坊]
・たー坊さん、有難うございます。夢浮橋以降の話しも読んでみたいです。。本とかあるのですか?もしよかったら教えて下さい。それから、上記二重書き込みになってしまて管理人さますみません。。[うさこ]
・匂宮三帖(匂宮〜竹河)、宇治十帖は紫式部が作者でない説がありますが、雲隠六帖はあきらかに別人(作者不明)が書いていますので、正直、メジャーな扱 いがされていません。関連書物については少ないです。書店ですと紀伊国屋や丸善などでないと見つかりにくいですし、図書館では各市区町村立図書館でも所蔵 してない場合も大いにありますし、各都道府県立図書館以上でも保証はできません。現に私も有していません。あくまでも上記の回答は私の記憶によるもので す。上記の回答についてご理解とご了承のほど、よろしくお願いします。万一、誤りがありましたなら、その点、お詫び申し上げます。[たー坊]
・たー坊さん詳しく教えていただき有難うございました。頑張って探してみますね。ちなみに5人の子のお母さんは誰なんですか?覚えていらっしゃったら教えて下さい。何度もごめんなさい。[うさこ]
・子の内訳ですが、浮舟腹が2名(男女)です。後の3人の妻妾には各1人で男女比は忘れました(そんなに重要では無い気が・・・)。ちなみに「按察君」は 出ていないようです。なにしろ私自身↓の通りなので・・・。ちなみに雲隠十帖中に出てくる薫の息子は浮舟腹だったような・・・。さらに、ちなみにですが晩 年に薫は浮舟と一緒に出家しました(だったような・・・)。薫が自分の妻妾の中で愛したのは彼女でした。こんなもんでご勘弁願います(^_^; ) m(_ _)m 。[たー坊]
・有難うございました。興味があったのでいろいろきいてしまってごめんなさい。(^^;)[うさこ]


ユキ
さんの疑問
源氏物語には登場人物が340人いると聞きましたが本当ですか?(脇役も数えて 全部

・「源氏物語」については、次のページに記載されている事により内容が散逸してしまっている事があるので明確には不明です。また、読む人や研究者の見解によって細部が異なったりします。 http://www.mori-gatari.com/g_susume/main_01_honmon.html [たー坊]

名前

ユキ
さんの疑問
生涯、正妻になったのは葵の上と、紫の上と女三の宮の3人ですか?

・正妻は葵の上と女三の宮です。紫の上との間には正式な婚姻関係はありませんでした。ただ、愛人というよりも、「正妻格の女性」といった具合です。[たー坊]
・紫の上は、明石の君や花散里と同じく側室でした。ただ源氏に最も深く愛されたため、「正妻格の妻」になったってカンジなんです。[春菜]


ユキ
さんの疑問
光源氏と玉鬘の関係は?でも、光源氏は好きになったんですよね?

・玉鬘は「源氏の養女」という関係です。確かに源氏は好きでした(けど、盗られましたけど)。[たー坊]
・玉鬘は「源氏の養女」という関係です。確かに源氏は彼女のことが好きでした(けど、盗られましたけど)。[たー坊(訂正)]
・たー坊さんのおっしゃるように、玉鬘は源氏の養女です。夕顔と頭中将との娘なのですが、夕顔の遺児ということで六条院にひきとったって訳です。[春菜]


まき
さんの疑問
女御・更衣付きの女房たちというのはそれなりに身分の高い女性達だった とおもうのですが、どういう人たちが選ばれたのでしょう。また、仕事をしなければならないので、公達の前に顔を晒していたのでしょうか。扇で顔を隠してい ては仕事になりませんよね?髪の毛は動きやすいように束ねていたようですが、顔はどうしていたのかなー?と疑問に思いました。また尚侍なども身分は高いよ うですが、仕事をしていると言う事でやはり顔を隠す事はなかったのでしょうか(宮中に参内した男性の前に出ることもあったのでしょうか。)それともう一 つ、過去の質問のお答えに女御様入内の際は40人もの女房を連れて行ったと言う記録があると言うことでしたが、女房にもさらに使用人がいるために膨大な人 数になったと思うのですが、みんな一つ屋根の下で暮らしていたのでしょうか。長くなって申し訳ありません。お答えいただければ幸いです。

・全てについての解答はできませんが、質問事項の「みんな一つ屋根の下で暮らしていたのでしょうか。」についてお答えします。全ての女房が 宮中に住んでいたわけではありません。女房の中には夫と子がいる身のもいます。最終的に申しますと、女房の中には家から通勤しているのも多くいます(いま した)。藤典侍もそうだったみたいです。また、宮中での女房も御簾の内側で仕事をしているのが多かったようです。清少納言の「枕草子」にはそうと思える記 載があります。[たー坊(訂正)]
・たー坊さま、早速のお答えありがとうございました!家から通勤している女房がいた、また藤典侍もそうだったみたいだというのは初めてしりました。「夕霧 が藤典侍の所に通っていた」というのはてっきり宮中に通っているものだとばかり思っていました(でもそれじゃおかしいですもんね)。仕事も御簾の内側が多 かったとの事、詳しくお答えいただき、ありがとうございました。[まき]


亜有子
さんの疑問
散逸した「雲隠六帖」 ってどこの部分にあたる話なのでしょうか??

・巻名のみの「雲隠」の部分、つまり源氏の最後と「夢浮橋」以降の部分が書かれています。[たー坊]
・たー坊さん、ありがとうございました![亜有子]


めけち
さんの疑問
源氏物語にちなんだ「能」や「歌舞伎」でおすすめを教えてください。

・ビデオでしか見てないので恐縮ですが、源氏能の「葵上」が印象的でした。衣をかぶって出てくる御息所が、般若の面をさらす所とか・・・能にしては動きが激しくて迫力ありますよ。[えるるん]
・実際に見たことは無いのですが歌舞伎では「末摘花」の演目があります。[たー坊]
・北条秀司の末摘花が泣けます。セリフも原作の雰囲気をそこなわない程度に現代の話し言葉になっており、わかりやすいです。[けや木屋小さん]
・えるるんさん、たー坊さん、けや木屋小さん、ありがとうございました![めけち]


えるるん
さんの疑問
散逸した「雲隠六帖」のタイトル全て教えて下さい。

・順に、「雲隠」「巣守」「桜人」「法の師」「雲雀子」「八橋」だそうです。[みぃ]
・ありがとうございます!「雲雀子」が思い出せなかったので。「雲雀子」の読みも教えてくださると嬉しいのですが・・・[えるるん]
・「ひばりこ」という風に読んで良かったと思います[快斗]
・みぃさん、快斗さん、ありがとうございました。[えるるん]


えびちぃ
さんの疑問
当時の貴族の食事はどうだったかを教えて下さい。

・主食は米でした。今のように炊いたものではなく、蒸したものが主流で、次第に現在のような炊いたご飯を食べるようになってきたそうです。 ちなみに今のご飯は「姫飯」といいます。おかずは「あはせ」といい、海藻類・果物類・鳥・魚などが出ました。野菜などは精進物といったようです。平安時代 初期に牛馬犬猿鶏等は食べる事を禁止されたのですが、猪や鹿は許されていました。しかし、「鹿肉を食べたらその日は参内してはいけない」などの規則もあっ たようです。基本的に煮る・蒸す・焼くといった調理法を取り、魚類は蒸し物・焼き物がありました。遠地から取り寄せるため、乾燥させたもの(干しあわびや 干蛸など)も多く食卓に上ったようです。味付けは、してないものもあり、してあるものも薄味で、別添の調味料で個々味付けしていたという記録もあります。 「菓子」といえば果物の事で、今のように加工したものには「唐菓子」「椿餅」等があります。唐菓子は味付けをし忘れたドーナツのようなものです。当時の甘 味料は甘葛というもので、夏は凍りにかけて食べたりもしたようです。 まだまだ他にも色々ありますが、こんな具合です。衣装や装飾に比べ、平安時代にはあ まり食に対する追求がなされていなかったみたいですね。伊勢物語にもてずからご飯を持った妻にうんざりした夫がでるし、源氏物語でも、おかゆを食べろと 行った尼にうんざりする浮舟が書かれていたと思います。こういったことで、貴族は食事にこだわってはいけないという作法があったように思われます。おかげ さまで脚気や栄養の偏りによる病が少なからず、だったようですね。[みぃ]



さんの疑問
源氏物語の中に、陰陽師は出てきますか?

・一応出てきますよ。葵巻で、源氏が若紫の髪を切る時刻を「暦の博士召して」占わせたりしているので。「一応」がつくのは、源氏物語中にお いて陰陽道関係の記述そのものが少なく、陰陽師が表に出てくることもほとんどないからです。出てきても、僧たちより影が薄いです。よ〜く読めば「これそう かも」っていうのはありますが、関係の代表的な単語(物忌みとか方違えとか)で探すと本っ当に少ない。「光」の話である源氏物語に、「影」を連想させやす い陰陽道はふさわしくない、ということ等が理由としてあるんですが、これを語りだすと(自分が)暴走してしまうので(^_^;)、ここでは省略させていた だきます。[美凪]
・ありがとうございました。[松]


戻る