源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱18

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m

紗瑜
さんの疑問
朱雀帝の御世のとき、右大臣勢力が強かったのですが、頭中将は左大臣の子として低く見られたのか、右大臣の娘婿として優遇されたのかどちらでしょう?

・そこそこは優遇していたと思います。源氏が流浪中でも頭中将は昇進していました。ただ当時は招婿婚であったことで家の関係上の事もありその当時は、頭中将は正妻のいる右大臣家にはあまり行く気ではなかったようです。[たー坊]
・たー坊様、有り難う御座いました。[紗瑜]


幟稀
さんの疑問
宿直(合ってるかな?)ってなんですか・・・?

・「とのい」と言います。今の時代の「当直(とうちょく)」とほぼ同じです。宮中、役所などに夜に泊まり警護や夜間時の対応・応対などをしています(していました)。[たー坊]
・「当直」と書いて「とのい」と言います。[たー坊]
・たー坊様、ありがとうございます!よく東宮の宿直どころは・・・・と聞くのですが宿直どころとはなんなのでしょうか・・・[幟稀]
・宿直所とは、宿直をする人が過ごしたところです。控え場所、といったところでしょうか。 >たー坊さんへ 「とのい」は「宿直」と書きますよ(^^)[みぃ]
・みぃ様、ありがとうございます!![幟稀]
・すごーく、間違えていました(恥ずかしい・・・)。みぃ様、訂正ありがとうございました。[たー坊]


リョク
さんの疑問
今上帝女二の宮(薫の正妻)の母、藤壺の女御はどのような血筋なのでしょうか。誰か血の繋がりがある人は・・・・?

・某の左大臣の娘のようです。そこそこ以上の権力者であると言えます。[たー坊]
・左大臣とはどなたでしょうか・・・・・葵の父でよろしいのでしょうか?それとも時の左大臣といったら・・・・せっかく答えてくれたのにあつかましくごめんなさい。。[リョク]
・「某の左大臣」としか分かりませんし葵の上、頭中将の父親のではありません。したがって、時の左大臣となります。[たー坊]
・たー坊様、ありがとうございました♪[リョク]



さんの疑問
紫の上が○の君という名がないということは、正式な結婚相手以外の子は大君、中の君・・・一郎、二郎・・・などの名はつかないということですか?

・それは様々だった気がします。藤典侍の産んだ子供は雲居の雁の産んだ子とあわせて数えられていました。ですが、別の物語になりますが、 「落窪物語」の中では、継子である主人公の女君は、正妻の子供と同様の身分とはされず、一人「落窪」と遇されていました。しかしながら、この女君は家来扱 いされていた、という事ですから、こちらが例外なのだと思います。大抵は同様に呼ばれていたのではないでしょうか。[みぃ]



さんの疑問
「若菜上」の三宮降嫁のところに、中務・中将という女房の名前が出てきますが、これらの女房はもともと源氏に仕えていたが今は紫の上に仕えているとあったのですが、この女房達と源氏には肉体関係があったのでしょうか?教えて下さい。

・中務と中将は源氏の召人とされています。もともとは源氏づきの女房だったのが、須磨流離をきっかけに紫の上づきの女房になったものと思われます。「明石」巻にも出てきますね。[えるるん]
・余談ですが、源氏出家の際は、中務の君は、源氏に「紫の上と過ごしたこの六条院を、若い女房達に好きにさせないよう、そなたは残って、若い女房達に指導してやってくれ。」と、頼まれ、六条院に残り、中将の君は、源氏と一緒に、出家して見事に、添い遂げました。[桔梗]
・ありがとうございました[葵]


リョク
さんの疑問
宇治八の宮の母はどなたですか?

・確か、はっきりと書かれてなく、「某女御」と書かれていたような気がします。(間違っていたら、ごめんなさいね。)[満月]
・満月殿、ありがとうございます[リョク]


バンビ
さんの疑問
光源氏は紫の上に藤壺との関係を話したのでしょうか??

・話しておりません^^;たとえ愛妻紫の上であったとはいえ帝の寵后を盗むなどという大罪は言えません。決して他言してはならぬことです。 それを話してしまうと紫の上を愛する本当の理由が分かってしまいますしね。しかし、紫の上自身、女三の宮降嫁で源氏は私と女三の宮に共通するだれかを探し ていると気付いていたかもしれません。あまり思いたくはないですが・・・。通説では紫の上は藤壺のことを桐壺院の中宮としか見ていないです。そして、源氏 は話していません[蘭]
・蘭さんどうもありがとうございました!!でも、冷泉帝は自分が源氏の子だと知って源氏に譲位しようとしますよね??それを話した僧(?)はどうして二人の関係を知っていたのでしょう??質問だらけですみません(>_<)[バンビ]
・その僧都は藤壺の宮の母后、藤壺の宮、冷泉帝と仕えていた僧です。藤壺の宮は冷泉帝をみごもると、その僧都に祈祷を頼みました。それから、源氏が須磨に 隠遁したときも内密に祈祷を頼みました。それを源氏が知ると、源氏もその僧都に祈祷を頼みました。それが冷泉帝即位まで続きました。それで、僧都は気付い たわけですね^^[蘭]
・よぉぉ〜くわかりました!!教えていただいてありがとうございました(^O^)[バンビ]


バンビ
さんの疑問
玉鬘は何故夕顔と離れて暮らしていたのでしょうか?

・「夕顔」の帖で夕顔が亡くなったことを知る術がなかった乳母達が、自分の夫の任国へ玉鬘をつれていったからです。[みぃ]
・つけたしですが、このことは「玉鬘」の帖に詳しく書かれているので、そちらを読むことをお薦めします。[みぃ]
・みぃさんどうもありがとうございました!!じゃあ、夕顔が生きていたときは一緒に住んでいたことになるんですよね??[バンビ]
・そうなりますね。「夕顔」の帖では、一緒に住んでいたのだと思います。[みぃ]
・では、源氏と会っていたときも玉鬘は同じ家にいたことになるのでしょうか??なんか、深く考えすぎてしまってすみません(=_=)でも、もしそうだとしたら運命のいたずらのようですね(;_;)[バンビ]


幟稀
さんの疑問
三后のうちの太皇太后と皇太后の違いはなにですか?(全く別ものだったらすいません)

・基本は、皇太后=天皇の母、太皇太后=天皇の祖母又は退位した帝の正妻、でしょうか。でも、←はあくまで基本パターンで、その時の勢力 や、席の空き具合(既に皇太后がいるから、天皇の生母だけど皇太后になれないとか)が関係することもあったかもです。三后はそれぞれ定員一人なので。[美凪]
・辞書に載っていた情報によると、太皇太后は先々帝の后、皇太后は帝の母親というような感じになっています。弘徽殿も朱雀帝が即位したことによって皇太后 の位を手に入れましたね。しかしながら、実際には、中宮の位を空けるために皇太后・太皇太后にそれぞれ送るなどのことが行われた事も事実です。[みぃ]
・レスがかぶってしまったみたいですね^^;)美凪さんごめんなさい。[みぃ]
・美凪様、みぃ様ありがとうございます!![幟稀]



さんの疑問
内親王が天皇に嫁いでも中宮になれない場合はあるのですか。

・あります。三后というのがあり、太皇太后、皇太后、中宮(皇后)です。これは、各一人ずつしかなることができません。亡くなるか位を譲る かしか三后の地位はあかないのです。秋好中宮の場合、藤壺中宮が没していて朱雀帝の中宮もいなかったため中宮になりました。明石の中宮は秋好中宮から中宮 の位を譲ってもらいました。中宮になれるなれないは空席の場合帝の寵愛度(女御であることは前提)で決まるでしょうし、院の中宮などがいる場合亡くなるか 譲ってもらわない限り内親王という高い身分でもなれないのです。[蘭]
・三后は独立した地位なのですね。蘭様、ありがとうございました。[霞]



さんの疑問
妃と女御、中宮は別物なのですか。

・妃というのは女御や中宮など、帝の妻である人全てのことです。女御と中宮はその通り別物です。妃ということでは同じですが・・・。変な説明でごめんなさい。。[蘭]
・女御と中宮は別の位です。思いっきり俗な言い方をすると、女御は天皇の側室、中宮は女御の中から選ばれる正妻、といったところでしょうか。微妙にニュア ンスは違うかもしれませんが、そんな感じです。妃は天皇に入内した女性全ての総称です。ただ、「妃」は他の皇族の妻にも使う言葉なので、一概に「天皇の 妻」とは言い切れないのですが・・・(例:東宮妃)。あと、霞さんのご質問にはない内容なのですが、天皇の正妻である中宮には「妃」ではなく「后(きさ き)」を用いました。中宮は三后(太皇太后・皇太后・中宮の3つの位)に含まれる、女性としては最高の地位の一つなので。[美凪]
・蘭様、美凪様ありがとうございます。中宮と女御が別物なのは分かっております。「妃は女御や中宮とは別物なのですか」という質問をしたつもりなのですが‥私の言葉不足でございました。[霞]
・↑「妃」は天皇(皇太子・上皇も含む)の妻たる身分、全部ひっくるめて言う広い範囲を表す言葉[えるるん]
・(↑続き)です。すなわち中宮・女御も「妃(天皇の妻)」の身分のひとつですし、ランクの下がる更衣も「妃」です。[えるるん]
・すいません^^;私の取り違えで・・・・妃は女御、中宮、更衣と天皇、東宮、院、全ての妻のことです。ですから妃は女御、中宮とは別物といえばそうもい えますし、いえなくもなります。どういう意味かといいますと、別物と考える場合・・・、妃とは全てのことで女御、中宮は各個たるものですから別物とも言え ますし、妃は女御、中宮ともに入りますから言えるとも言えますね。これで分かっていただけましたか?[蘭]



さんの疑問
立太子できる資格(?)は何ですか?

・「立太子宣明の儀」というのを受けた者(親王)に資格があります。最終決定権は一応、帝となっています。今でも皇室で行われているみたいです。[たー坊]
・実際は、他からの圧力もあったみたいですね。力のある外戚とか。藤原家が摂関政治してた頃なんて、その典型でしょう。現在は純粋に皇位継承権の順番通りだと思いますが。[美凪]
・たー坊様、美凪様有り難う御座います♪[蘭]



さんの疑問
髭黒にむりやり妻にされてしまったときの玉鬘の対処が、とても賢かった と源氏やもろもろの研究者の方が言ってみえますが、具体的にはどういう点がかしこかったのでしょうか? 読んでいる分には、ショックを受けたり悲しんだり しながらだんだん髭黒になじんでいった過程はほかの女君同様かなというふうに見えてしまったのですが・・

・次への切り替え、いさぎよさなどが言えます。他は現代語訳本などの表現や読む人の感じになります。[たー坊]
・次への切り替え、いさぎよさなどが言えます。他は現代語訳本などの表現や読む人の感じ方などによります。[たー坊(訂正)]
・髭黒を手引きした女房にしかるべき罰を与えて、[えるるん]
・↑続きです。「自分が髭黒を誘ったわけでも、合意の上でもない」と世間に知らしめたこと、が挙げられます。「若菜下」で源氏が玉鬘の対処を褒めてる場面があるので、それを参照してはいかがでしょう?(もしもう読んでいましたらごめんなさい)[えるるん]
・お二方ともありがとうございます!(^o^)/  出産後の玉鬘は本当に賢いなあと思っていたんですけど、なぞが解けました! もっとしっかり読み解こうと思います(^^)[菊]


幟稀
さんの疑問
玉鬘大君は何の身分で入内しましたか?

・尚侍の身分で入内しました。[たー坊]
・では大君、中の君ともに尚侍ということですか?[幟稀]
・尚侍として入内したのは、玉鬘の中の君です。玉鬘の大君は、冷泉院の妃になり、後に女二の宮と若宮を産みました。[すめらぎ]
・尚侍は中の君だけです。大君は何の身分・・・というのは特に無いと思われます。冷泉院妃というので良いのではないでしょうか。もちろん、女御等の呼び名 ではありません。出産後は御息所と言われています。ちなみに、冷泉院は退位しているので、入内という言い方も正しくありません。[えるるん]
・たー坊様、すめらぎ様、えるるん様、ありがとうございます!!私の知識さなにもうしわけありません>えるるん様[幟稀]
・↑いえ、私も何かきつい感じのレスをしてしまってすいません;;[えるるん]



さんの疑問
公家と武家の違いは何ですか。

・公家=貴族のことです。貴族は藤原氏など平安時代に政治をしていた人たちのことです。武装はしません。武家は武士のことです。武装してい るのですが後に平氏や源氏などで勢力を持ち始め政治を独占するようになりました。平安末期から武士がおこりました。何だか分かりづらいですが・・・・ごめ んなさいね^^;[蘭]
・すいません。武家は武士のことですと書きましたが、武士一人一人のことではなく武士の家、・・・つまり源氏や平氏などがこれに当たります^^;[蘭]
・蘭様、ありがとうございます。[霞]

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