源氏ファンの助け合い(^^)
源氏物語質問箱15

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m


えりか
さんの疑問
源氏物語の男性で出世昇進が一番早いのは誰ですか。

・主人公の源氏ではないでしょうか。先に元服していた頭中将も追い抜きましたし、桐壺帝の時代の寵愛振りは素晴らしかったようですし。最後には、ただ人には決して許されない、準太政天皇の位まで登りつめたのですから…[みぃ]



さんの疑問
藤壺の宮のお母様はどなたなのですか。

・はっきりとは、書かれていませんが、先帝の中宮(もしくは、皇后)で、数ある御子の中でも、藤壺の宮を一番、可愛がり、藤壺の宮の入内には、最後まで、反対だったそうです。[桔梗]
・ありがとうございます。[霞]


えりか
さんの疑問
紅梅の姫君は何の身分で入内したのですか?

・原文でも『参らせたてまつりたまふ』としか書かれていないので分かりません。決めていなかったのかもしれませんが、大納言家で祖父は大臣の身分ですから女御、もしくは更衣になれると思いますが・・・・[零菜]
・大納言だったと思われます。普通大臣でないと娘を女御に出来ませんが、宣旨があれば可能です。特に紅梅の場合威勢の強い家柄であるし、大臣に昇進するのが確実だったと考えられるため妥当でしょう。[えるるん]
・スイマセン、ちょっと質問の趣旨にはずれてました。大君は女御として入内したと思われます。[えるるん]


うさこ
さんの疑問
女三宮は源氏に降嫁されるまえはどこに住んでいたのですか?

・母親が「藤壺女御」(冷泉院の母親とは異母姉妹)なので飛香舎(藤壺)かと思われます。[ta-]
・すいません。自分(回答者の名前の入力ミスがありました。母親が「藤壺女御」(冷泉院の母親とは異母姉妹)なので飛香舎(藤壺)かと思われます。[たー坊(訂正)]
・まず、基本的に、帝の子供は、東宮を除いてたいていの場合は母方の後見役の館で成長します。(「花の宴」の帖を参照してください。)ですが、女三宮の場 合は、母親自身が内親王であったこと、また、その母親(祖母にあたる)は更衣で、当然後見役にははかばかしき人間がいなかった事(これが降嫁の理由である ので当然といえば当然なのですが)などから、後見役の館に世話になる事ができない状況であったことがうかがえます。さらに「若菜上」の帖で、彼女は裳着を 朱雀院で行っていますので、やはり、父親の住まいである朱雀院で暮らしていたのではないでしょうか。[みぃ]
・ありがとうございました^^[うさこ]


紗瑜
さんの疑問
源氏が準太政天皇になり、皇族と同列になったとき、子の夕霧や明石の姫も皇族と同列になったのですか?

・そんなことはないです。あくまで夕霧は臣下ですし。明石の姫は中宮になってるのでまたちょっと違いますが。とはいえ子供にとって親が高い地位に就くことは名誉なことだったでしょう。[えるるん]
・結論から言うと、なりません。夕霧はそのころ中納言になっていました。これは臣下に与えられる位ですから、出世しても氏姓皇族の源氏のままなのです。明 石の姫君はというと、彼女も夕霧と同じではあるのですが、女御へ、そして中宮へと登りつめましたので、自力で(?)皇族になったといえるでしょう。源氏の 与えられたこの位は非常に特殊なものなので、例が引き出せず、不確かなのですけど…[みぃ]
・結論から申し上げて、なっていません。(明石の姫に関しては、今上帝に入内し、立后したことで結果的に皇族になりましたが・・・)しかし、源氏が準太政 天皇になったことで、実質的には夕霧や明石の姫も天皇の皇子女とほぼ同格に扱われるようになったのではないでしょうか・・・?[Miyabi]
・準太政天皇の位は、光源氏個人に対して特別に贈られたものですから、それが子になんらかの影響を与えることはありません。父の源氏が名実ともに不動の「一の人」になったことで、夕霧の存在にも重みが増したとは思いますが。[美凪]
・えるるん様、みぃ様、Miyabi様、美凪様お答えありがとうございます。よく分かりました。本当にありがとうございました。[紗瑜]


紗瑜
さんの疑問
中宮はどの身分の姫がなれたのですか?できるだけくわしく教えていただければ・・・

・下の質問にも答えてしまったのですが、中宮になるには、まず女御であるという事が必須です。したがって、皇族の女性、もしくは大臣クラス の親を持つ娘であることが必要となります。また、中納言、大納言などでも、祖父が大臣である場合、養女という形で入内すれば女御の宣旨を受ける事ができま した。(頭の中将の娘も、こうして弘徽殿女御になったのですね)[みぃ]
・みぃ様ありがとうございます。なんだか私、皇族しかなれないものだと思っていました(汗[紗瑜]


紗瑜
さんの疑問
在位中に生まれた帝の子と退位して院になったときできた子では身分が違うのですか?

・基本的に、親王・内親王の位は「品」で表されます。そういった意味では同じと考えていいのではないでしょうか。ただし、院になった後に生まれたのでは、東宮に選ばれる可能性がほとんどない、といった意味では、微妙な位置に属するような気がします。[みぃ]
・みぃ様ありがとうございます。冷泉院の若宮がなぜ重要視されないのかな〜東宮になってもいいのに〜・・・・なんて考えてました(笑[紗瑜]


ともさん
さんの疑問
藤壷の宮と紫の上は似ていると言うけれども、どっちがより魅力的な人なのでしょうか教えてください。

・それは源氏の君に聞いてみないと分かりませんね。個人的には紫上ですが。[葵]
・それは個人個人によって違うと思いますよ。「魅力的」という基準がはっきりしませんので・・・[蘭]
・実際に源氏物語を読みこむことをオススメしますv ただ、あくまで「物語の登場人物」としての魅力なら紫の上の方が上だと思います、私は。[えるるん]


みーさん
さんの疑問
源氏物語で一番の美人は誰?ついでに葵の上と紫の上

・美人とはかかれていませんが、理想の女性像と紫の上はかかれています。しかし、すべての女人が比べられているわけではないので、葵の上と紫の上を比べるのは難しいでしょう。しかし人生からいって紫式部は紫の上を一番の女人にしたかったのではないでしょうか?[蘭]


あおい
さんの疑問
冷泉院に、玉鬘の長女が参院して子供を2人もうけたとき、冷泉院は何歳だったのですか?

・43歳の冷泉院の元に大君が尚侍として参上したのは18〜19だったようです。4月に参上して7月には懐妊の兆しが見えたのですから、内 親王が生まれた時には44歳だったのではないでしょうか(ちなみに内親王が生まれたのは翌年四月です)。男宮のほうは、数年立ってから、とあるだけですか ら、わかりかねます。[みぃ]
・すいません!間違えました(汗)尚侍は中の君で、大君ではありません。申し訳ございません。四月九日に参院したのはあっています。[みぃ]
・ありがとうございました。[あおい]


ふー
さんの疑問
子供を産まないと中宮にはなれないのですか?女御と中宮の違いをおしえてください。

・中宮は宣旨を受けた天皇の后がなる定員1名のものだと古典で習いましたが。あと、秋好中宮は冷泉帝の間に子がないままに中宮の宣旨を受けているので、子がいれば天皇の思い入れは強いかもしれませんが、それが特に必要条件ではないようです。[梨壺]
・女御と中宮は天皇の妃の身分と考えたらよいのではないでしょうか?中宮は皇族、女御は大臣家以上の身分の姫がなれます。[蘭]
・蘭さん、少々取り違いをされておいでです。中宮になれるのは女御宣下を受けた女性です。女御になれるのは大臣クラスの娘(孫などが養女となる形で、とい うこともありました)、皇族です。中宮となると、皇族の一員として正式に認められるので、家臣である大臣家の娘でも、皇族として扱われるわけです。実際定 子も彰子も、藤原姓の一族(母親はそれぞれ高階、源ですけど)ですが、中宮になっていますから、皇族のみが中宮になるというのは間違いになるわけです。余 計な事とお思いかもしれませんが、訂正させていただきました。[みぃ]
・梨壺さま、蘭さまに付けたしをさせて頂きますと、女御と皇后・中宮の違いですが、女御は、天皇のもとに入内して女御宣下のあった者を指し、おもに皇族、 大納言家などの女子がなれました(例外もあり)。中宮は、おもに女御の中から選ばれ、立后宣下のあった者を指します。また、女御と皇后・中宮のもう一つの 違いとしては、皇后・中宮は天皇の正妻であり、立后宣下があれば臣下の出身でも皇族になります。しかし女御は、実質的な天皇の妻ではありますが、あくまで 天皇に仕える女官であり、皇族ではありません(皇族出身者を除く)。[Miyabi]
・↑みぃさま、どうやら投稿がダブってしまったようです。あと、訂正ですが、「・・・おもに皇族、大納言家などの・・・」とありますが、「大臣家の女子」というのが抜けてしまっておりました。申し訳ございません。[Miyabi]
・蘭さまのおっしゃっていることは、平安期以前だったら「まあ…当たりかな」といったところだと思います。藤原氏が台頭してくるまでは、皇后の地位に就け るのは皇族だけでしたから(主に皇女。私が知らないだけで例外も有り…かも)。その頃は妃の名称も違っていたので、女御や中宮という言葉はなかったかもし れません。あと、みいさまに付け加えさせていただきますと(蛇足かもしれませんが)、大納言家の娘の場合、女御ではなく更衣としての入内も少なくなかっ た、と聞いたことがあります。[美凪]
・↑追加です。更衣が女御になれることは(確か)ありません。[美凪]
・>美凪さんへ 私は大納言家の場合の事は書いてないと思うのですが…多分、Miyabiさんへのコメントだと思うのですが、いかがでしょうか?^^;  大納言家、中納言家の娘は確かに更衣としての入内が多いですよね。でも、私もこれより上の質問に答えたのですが、養女として祖父などの大臣家から、という 形で女御になった人もいますね。[みぃ]
・ああっ、本当だ!ごめんなさいっ(>_<)元々うっかり者の上に、みいさまとmiyabiさまの回答をほぼ同時に読んでいたので、混乱して しまっていたようです(汗)本当にすいません。 確かに、父親の身分は大臣クラスじゃなくても、親族(だいたい祖父?)が大臣家であれば、養女として女御 になった人はいますね。入内時の身分って、公的な後見役の地位に比例しているんですよね。[美凪]
・みなさん、私の馬鹿な取り違えでお騒がせして申し訳ありません。これからは、きちんと調べてはっきりしていることだけをかきます。本当にみなさんすいません。[蘭]
・皆様[ふー]
・皆様、ありがとうございました。[ふー]


満月
さんの疑問
光源氏には、子供は三人(世間的に認められているのは、二人)ですけれど、召人と呼ばれる女房などの、愛人達には、子供は、いなかったのでしょうか?そしたら、源氏って、子種に恵まれなかったんですね

・いないようです。結構、彼は女性の好みはウルサイ方です。ライバルの頭中将は結構、手当たり次第って感じです。[たー坊]
・たー坊様、有難うございました。[満月]

名前: 解答:

美華姫
さんの疑問
「紫の上は、一応、女三の宮が降嫁するまで、源氏の正妻格でしたよね?でも、世間的には、正妻ではない。って良く、聞くんですけど、本当なんですか?教えて下さい!」

・ごめんなさい。“良く、聞く”ではなくて、“よく、聞く”です。本当に、ごめんなさい。[美華姫]
・PCの調子が悪いのですか? 質問の答えは、「本当です」。以前の質問でもあったのですが、三日夜の餅を用意したところまでは良かったのですが、露顕 (ところあらわし)しという披露宴のようなものをしていないことなどから、「正妻格ではあるが、正式な北の方ではない」という状態で過ごしていたというこ とになるのだそうです。[みぃ]
・みぃさんにつけたしで、源氏が紫の上を一番愛し、また紫の上以上の身分で源氏の妻はいなかったためいつのまにか正妻格になっていたのです。みぃさん、余計なことだったらごめんなさい。[蘭]
・みぃさん、蘭さん有難うございました。[美華姫]


藤壷
さんの疑問
とても質問しづらいのですが、源氏の初めての相手は誰だったのですか?正室の葵、それとも六条?

・橋本治の「窯変源氏物語」では、葵の上が最初の女性となっていました。原文を読んだことが無いので断言はできないのですが・・・・[小賽]
・答えは「不明」でしょうね。ちなみに六条ということはまずないと思われます。手近な女房というセンもあります。[えるるん]
・源氏は元服の日にすぐ結婚ですから、添臥しをつとめたのは葵の上でほぼ間違いないと思いますよ。[澪]
・添臥の相手(女性)は必ずしも妻とは限らないようです。添臥のプロみたいな人もいたみたいです。こういうことに関しては現代よりも過激なケースもありますね。[たー坊]
・添臥の相手(女性)は必ずしも妻とは限らないようです。添臥の相手(女性)はそういうことに関してはプロの女性もいたようです。こういう事に関しては現代より過激に感じるのもあります。[たー坊(訂正)]
・個人的には葵上ではないかと思いますが・・・。原文を見る限りでは「不明」でしょう。源氏物語では、そういう内容は、実ははっきりとした表現ってないん ですよね。曖昧にぼかされてて、その前後の状況から推測されるものばかりで。ちなみに、もっと時代が下ると初めてのお相手は乳母ってことも多かったみたい です。身をもって性教育をするわけですね。それが高じて(?)、乳母に(若君との)子供ができてしまって愛妾になってケースもあるとか…。蛇足でした。[美凪]
・皆様、ありがとうございました。[藤壷]


紗瑜
さんの疑問
左大臣は大宮以外の妻は娶らなかったのでしょうか?そうならばなぜなのでしょう・・?

・結論から言いまして、左大臣には多くの妻を持っています。「桐壺」の帖を御覧ください。本文では「御子どもあまた腹々にものしたまふ」とあり、これは色々な女君との間に子供が生まれているということです。大宮腹の子供は頭中将と葵上の二人だけですけれどね。[みぃ]
・みぃ様いつもありがとうございます。私の知識不足で余計な質問だったかもしれません・・。ごめんなさい。[紗瑜]


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