源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱12

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m


さんの疑問
桐壺帝の御子、蛍兵部卿宮の母君は、どなたなのでしょう?承香殿の女御という話も聞いたのですが…。はっきりしないので、おしえてください。

・はっきりはわかりませんが、やはり承香殿女御だという説が有力です。[お通]
・どうもありがとうございました。[葵]



さんの疑問
女一宮は女三宮に柏木をとられた後、どうなったんですか?

・あのー、女三宮に柏木をとられたのは、女一宮ではなくて、女二宮ですけど。女二宮は夫柏木死後、夕霧と再婚しました。[お通]
・基本的に内親王は許可がない限りは結婚は禁止されてますから、夕霧とは私通扱いだと思われます。[はや]
・すみませんでした。ありがとうございました。[松]
・難しい問題も絡んでくる質問ではないでしょうか?女二宮は柏木にとって、「正妻」に当たる人物でしょう。故に女三宮をずっと慕っており、密通が起きたと しても、「取られた」とい表現にはなりませんね。夕霧と女二宮の関係ですが、はやさんも書いておられる通り、その存在は「妾」であると考えられます。私見 ですが、内親王との婚姻はその内親王が、正妻になるケースが殆どです。しかし、夕霧の場合、致仕大臣の娘雲居雁が強い力をもっており、尚かつ、女二宮は 「内親王でありながら再婚」という形になってしまいます。いくら内親王とは言え、「妾」として存在することになるでしょう。尤も、「正妻格」にはなるので はないかと想像されますが。[正行]
・難しい事ですが、詳しく教えていただき、ありがとうございます。[松]


お通
さんの疑問
夕霧の四の君、五の君は誰と結婚したんですか。

・消息について詳しいことはわかっていません。[はや]
・ありがとうございました。[お通]


うさこ
さんの疑問
冷泉帝の弘徽殿の女御は何歳(何帖?)のころ女宮を産んだのですか?

・よくわかりませんが、多分10代でと思います。[お通]
・橋本治氏の源氏物語「竹河」の帖によると、女御44歳、姫宮17歳となっていましたから、冷泉帝が位を降りる直前の27歳となっていました。[澪]
・↑追記:帖ですと、若菜下となりますね。[澪]
・詳しく教えていただいて、ありがとうございます![うさこ]




さんの疑問
葵の上と紫の上では、何歳ぐらい歳が違うのですか?

・葵上が源氏の四歳上、紫の上が(若紫時代)7,8歳差だったので、11、2歳差と考えるのがいいのではないでしょうか。[みぃ]
・ちなみに「若菜下」の帖になると、紫の上と源氏の年の差は10歳差となっています。[みぃ]
・ありがとうございます。紫の上と源氏の差は10歳となると、14歳差では?でも、違うんですかねぇ。[松]
・「若菜下」では、厄年の話が出てきて、紫の上の年齢に誤差が生じてきたんですね。紫式部が勘違いをしたまま書き損じたというような話を聞いたことがあり ますけど…でも、「若菜下」の帖では葵の上はすでに出てこない人ですから、やはり「若紫」の年齢差を取ればいいのではないかと思います。[みぃ]
・ありがとうございました。[松]
・紫上の年齢が若菜で変わってくるのは、彼女を厄年に亡くなる風にしたかったから、と聞いたことがあります。[桐桃]


お通
さんの疑問
蛍宮の先妻である右大臣の三の君は何歳で亡くなったんですか。

・何歳、などと詳しいことは書かれていなかったように思います。そもそもいくつの時に何歳差で蛍宮と結婚したかなど一切わからないので…。[はや]
・ありがとうございました。[お通]


こうめ
さんの疑問
源氏物語に限らず、平安時代モノには「随身」というものが出てきますが、どの身分に何人付いたのでしょうか。また、そういう人はどういう人なのですか(武官なのでしょうか)

・身分は近衛府の舎人です。主に上皇や摂政、関白の警護の任につきました。[はや]
・上皇には十四人。摂政、関白には十人。大臣、大将には八人。納言、参議には六人。中将には四人。少将は二人。衛門、兵衛の督には四人、佐に二人とされ外出の際に付き従いました。[はや]
・はやさんどうもありがとうございました。[こうめ]


お通
さんの疑問
朱雀帝の麗景殿女御は弘徽殿大后の兄藤大納言の娘ですよね。この人はどんな性格をしていて、どんな容貌の持ち主だったんですか。

・名前がでるだけで、詳しい描写はなかったように思います。[はや]
・ありがとうございました。[お通]
・賢木巻で、麗景殿女御の兄・頭の弁が源氏に「白虹日を貫けり」という嫌味を言うところで、女御の存在が語られるだけですね。[えるるん]
・えるるん様、ありがとうございました。[お通]



さんの疑問
斎宮とは、何ですか?

・伊勢神宮に仕える巫女で、天皇の娘・孫娘などの血族から選ばれる女性です。天皇の即位、もしくは身内に不幸があったり体調が著しく崩れた際には交代がありましたが、それ以外は御世の交代まで神に仕えていました。[みぃ]
・ありがとうございました。[松]
・三重県に「斎宮歴史博物館」「いつきのみや歴史体験館」というところがあります。私は行ったことがないのですが資料をたくさんいただきました。平安時代 の四季折々の行事 又 装束(十二単 直衣など)を着る体験もできます。秋には行く予定ですが そういう歴史を体験し自然も豊かなところでひと時を過ごす のもいいですね ご参考までに[紫の桔梗]


早少女
さんの疑問
明石の上は、実の娘から「実母」という目で見てもらえたのですか?また、大切にされたのですか?

・初めての懐妊で明石の女御が里邸に戻った際、尼君から知らされ、実母と知らされます。それからはそういった面からも尊重されるようになったようですね。[みぃ]
・みぃさん、有難うございました。一生紫の上ばかり慕っていたのかな、と心配になったので質問させていただきました。[早少女]


桔梗
さんの疑問
皇女から選ばれる伊勢の斎宮と賀茂の斎院。朱雀帝のとこは秋好中宮と女三の宮。(朝顔の斎院)では、冷泉帝のときは、何方だったのでしょう?

・御世の交代の折にも書いてありませんでしたし、譲位はそれすら書いてなかったので、多分誰、とは書いてないのではないかと思います。(いることはいるけれど、特に登場させてはいないのではないでしょうか…)[みぃ]
・ひょっとして物語に登場しない朱雀帝の女一の宮と女四の宮がそれぞれ斎宮と斎院として冷泉帝のとき選ばれたのかも知れませんね。[お通]
・みぃさん、お通さん、有難うございました♪[桔梗]

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