源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱11

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m

MARI
さんの疑問
源氏物語のヒロインは、やっぱり紫の上ですよね・・・

・そうだと思う。けど、ほかの源氏が愛した女人達の存在あってこそ、そのヒロイン的価値が高まっている気がする。[くりこ]
・くりこさん、ありがとうございます。確かにそうですね。[MARI]


MARI
さんの疑問
朧月夜は、源氏と朱雀帝、どちらをより愛したのでしょう。

・それぞれにタイプが違う二人だから一概には言えないと思います。それでも、最後には源氏と一緒になるよりも出家を選んだのですから、最終的には朱雀院でいいのではないでしょうか。[みぃ]
・朱雀帝よりも源氏を愛したけど、源氏は朱雀帝が自分を愛してくれるほど愛してはいないことが分かったんだと思います。[春菜]
・その、どちらとも言えたり言えなかったりするところが、おもしろいなーと思う。[くりこ]
・皆さんありがとうございます。[MARI]



さんの疑問
頭の中将の妻・愛人の名前を、知っているだけ教えてください。

・正妻は右大臣の四の君で弘徽殿大后の妹です。愛人は玉鬘の母夕顔、雲居の雁の母の皇族出身の女性、近江の君の母などです。[お通]
・ありがとうございました。[松]


お通
さんの疑問
葵の上のモデル、紫の上のモデル、明石の上のモデルって誰ですか。

・紫の上のモデルは、私がずっと前聞いたとき、たしか皇后定子だったような気がします。[松]
・ありがとうございました。ちなみに私は明石中宮のモデルは中宮彰子だと思います。[お通]
・若紫の帖は、彰子と一条帝がモデル、という話をどこかで聞いたことがある気がします。[みぃ]
・みい様、ありがとうございました。彰子が紫の上のモデルなら、一条天皇は光源氏のモデルですよね。[お通]


うさこ
さんの疑問
『玉かずら』のことばの意味を教えてください。やはり辞書で調べてもよくわかりません。

・玉鬘は、上代に使われた、玉を糸で通した髪飾りの事です。古事記なんかにもでてきます。ちなみに鬘は上代に使われた、蔓草や花・木の枝を髪に巻いて飾りとしたもの。あやめや柳なども用いられました。[みぃ]
・補足です。「たまかづら」を「玉葛」ととった場合、それは葛を意味します。さっき源氏物語で使用されていた和歌を確認したんですが、こっちの方が歌のニュアンス的にはあっているかもしれませんね。[みぃ]
・ご回答ありがとうございました。[うさこ]


美凪
さんの疑問
女三宮はなぜ出家したのでしょうか?源氏の冷たい態度が辛かったから、とか、密通の事実そのものに慄いてしまったから、とか色々思いつきはするのですが、どうも答えが出ないのです。

・六条御息所とか、源氏への恋に苦しんだ人達のもののけに憑かれて導かれたのじゃないかしら。[くりこ]


さやか
さんの疑問
右大臣の五の君はどんなひと?

・花宴で五の君の存在を語られるだ[えるるん]
・↑続きです。花宴巻で存在を語られるだけなので、どんな人かは不明です。誰の妻となったかもわかりません。[えるるん]


みかん
さんの疑問
雲居雁と雲井雁、東宮と春宮・・・どちらが正しいんでしょうか?

・全部正しいと思います[葵]
・東宮の場合は、一般的には、「東宮」と書きますが、「春宮」とも書くので、どちらとも、よいと思います。[桔梗]
・葵さんも桔梗さんもありがとうございましたvv[みかん]
・「くもいのかり」は、「雲居雁」のほうがいいともいます。そういえば、「おとめ」の帖も、「少女」か「乙女」か・・・[MARI]


梨壺
さんの疑問
国語便覧に載っていたのですが、五節の君という人が源氏の恋人とあります。しかし、初耳なので(どうも太宰大弐の娘らしい)どういう方なのか知りたいです。また、この方はどこの巻に出てくるのでしょうか?教えてください。

・あ、念のためもう一言。あの近江の君にくっついていた五節ちゃんのことではないと思うのであしからず。[梨壺]
・その五節の君は俗に「筑紫の五節」とよばれる女君です。初出は「花散里」巻で、源氏が彼女を思い出しています。以前五節の舞姫に選ばれて源氏とも逢瀬があったとのこと。須磨・明石・少女巻に彼女の歌が1首づつありますので、読んでみたらいかがでしょう?[えるるん]
・ありがとうございました![梨壺]


MARI
さんの疑問
最終的に、紫の上は、源氏を愛していたのでしょうか?

・愛憎一体だったと思います。[はや]
・はやさんのおっしゃるとおり 愛すればこそ苦しみも多かったでしょうね[紫の桔梗]
・ありがとうございます。確かにそうですね。[MARI]


MARI
さんの疑問
源氏物語は、本当に紫式部一人だけだったのでしょうか?

・宇治十帖は、紫式部の娘の賢子が、書いたという、説があります。[桔梗]
・作者複数説がありますが、どれも可能性として言われているだけで、多くの読者は多少の変遷はあっても全編紫式部の作だと思っています。[はや]
・すいません。質問文に、言葉がぬけていました。正しくは、≪源氏物語の作者は、本当に紫式部だけだったのでしょうか?≫です。本当にすいません。[MARI]
・もともと紫式部が書いたのは今の帖より少し少なくて現在見て内容的に劣っている部分は誰か他の人の手によって書き足されて今の大成されたと言われている らしいです。また、宇治十帖は桔梗さんのおっしゃる通り紫式部の娘が書いたという説があります。以前世界不思議発見という番組で源氏物語が特集されていた とき詳しく取り上げられていたのですが…。ビデオか何かで借りれませんでしょうかね??[葵]
・「竹河」には「紫の筆には及ばないが」という記述があるので少なくともそこだけは他の作者ではないかと・・・[伊勢の君]


早少女
さんの疑問
秋好中宮は、姉御という言葉が似合う性格だったのですか。

・女御、ということでしょうか。[はや]
・鷹揚な性格であったようですし、六条御息所の娘ですから教養もあったでしょうし、女御、中宮になるには本人の人柄は申し分なかったと思います。[はや]
・はやさん、有難うございました。。ちなみに、彼女は姉さん女房的な強気な性格だったのですか?…ということです。[早少女]
・恥ずかしがりやで若々しい性格だったようです。強気、ではあまりなかったようですね。[はや]
・はやさん、2回も有難うございました。[早少女]


紫ラブ
さんの疑問
紫の上は、女三宮と源氏の子が薫だと純粋に思っていたのでしょうか?

・どうして疑ったりしましょうか(←反語) 疑うはずはなかったと思います。[みぃ]
・源氏があんなに無関心だったので疑ったのでは?もともと源氏は大の子供好きですから、女三宮のことをもっと大切にするはずだと思っていたと思います。[MARI]


桔梗
さんの疑問
光源氏と、葵の上が逢瀬を交わしたのは、藤壺出産前の、一回きりなのでしょうか???

・一度きりとは書いてなかったと思いますけれど…(^^;)源氏君の夜の記録の全てが書いてあるわけではないので、どれほど夜を重ねていたかはわかりませんよね(←粗相;)[みぃ]
・桔梗さんは「あさきゆめみし」をお読みになってそう思われたのでしょうか?源氏と葵上は何年も夫婦やってますので、1回きりというのはまずないでしょう。というか、結婚初夜すでに実事があったのでは?[えるるん]
・正式の夫婦ですからそんなことはありえないでしょう。愛人がいようと何年も妻は葵一人だったわけですし。[はや]



さんの疑問
もし桐壺更衣が生きていたとしても、桐壺帝は第二皇子の母である桐壺を中宮にしたでしょうか、それとも、身分の高い藤壺を中宮としたでしょうか。

・中宮は女御から選ばれます。よって、桐壺の更衣が中宮になる可能性はありません。[えるるん]
・桐壺帝は、桐壺更衣を女御にしよう!と、考えていたようです・・・。しかし、それを更衣が断ったと、本に書いてありました。当時、帝の詔は、絶対的なものですから、中宮になれたかも、しれません。桐壺更衣が、生きていたら、藤壺は、入内しなかったと、思います。[桔梗]
・宣旨さえ出れば更衣が女御になるのは可能なので、中宮になれた可能性はあります。…が、現実的にはどうでしょうね〜。性格的にも、いつまでも辞退し続け そうな気がするんですが…。かといって、更衣の死がなかったら藤壺が後宮に入ることもなかったでしょうし。その場合、弘徽殿を(仕方なく)中宮に立てる か、中宮は無しのままだったんじゃないでしょうか。[美凪]
・ありがとうございました。藤壺は、桐壺の変わりですもんね・・・。[松]

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