源氏ファンの助け合い(^^)

源氏物語質問箱1

「げんじろーど」に集う素敵な
源氏物語仲間が回答してくださいました。
ありがとうございますm(__)m

さくら
さんの疑問
惟光は最後にどうなったのですか?

・確証できませんが(資料によって記載などが無かった場合があるので)、「参議」まで昇格したそうです。[たー坊]
・梅枝巻に「惟光の宰相」という呼び名が出てきているようなので、宰相まで出世したのではないかと。[美凪]
・ご存知の方もおられると思いますが、「参議」と「宰相」は同じです。大宝律令下では「宰相」は参議の別名みたいなものです。「宰相」の名は中国(多分、唐)が起源です。中国では太政大臣に相当します。日本と階級が異なります。[たー坊]
・つまり、「参議」と「宰相」は同じ階級です。[たー坊]
・そうだったんですか。宰相は階級というより役職名だと思っていました。[美凪]
・ありがとうございました。[さくら]


桔梗
さんの疑問
桐壺帝・朱雀帝・今上帝に入内していた、御妃方を教えて下さい。(冷泉帝は、確か、秋好中宮、弘徽殿女御・王女御・大君だけだったと、思うのですが・・・。)

・私もはっきりはわかりませんが・・・名前がわかっている方では、桐壺帝には桐壺更衣(光源氏母)、弘徽殿女御(朱雀帝母)、麗景殿女御 (花散里姉)、藤壺中宮(冷泉帝母)、源典侍など、朱雀帝には承香殿女御(今上帝母)、藤壺女御(女三宮母)、一条御息所(女二宮母・更衣)、麗景殿女 御、朧月夜の尚侍など、今上帝には明石中宮、麗景殿(今上帝即位後は藤壺)女御(女二宮母)、更衣(四宮母)、玉鬘と髭黒右大将の中の君などがおられま す。[Miyabi]
・桐壺帝の源典侍って「入内した妃」のうちに入るんですか?尚侍レベルで寵愛を受けていればともかく、典侍では妾になることはあっても、妃扱いはされなかったような気がするんですが…。[美凪]
・↑源典侍は確かに妃ではありませんが、帝に使える女官の一人として入れさせていただきました。すみません・・・[Miyabi]
・桐壺帝の元には、Miyabi様のお言葉に付け加え、承香殿女御(四御子の母)や、帥宮(蛍兵部卿宮)の母が入内していたようです。[葵]
・皆様、有難うございました。たくさんの、妃がいた桐壺帝の後宮の中で、寵愛を受けた、桐壺更衣は、すごいんですね。[桔梗]


さくら
さんの疑問
けっきょく薫は誰とも結婚できなかったんですか

・そんなことはないと思います。結婚は多分してないと思いますが、浮舟以外の女性・女二の宮とも恋愛関係を持ったらしいです。[松]
・↑の女二の宮は、今上帝の娘です。[松]
・女二の宮とは婚姻関係がありますよ。彼は自身の言い分とは別に本心は意外と女性に興味心を持っています。[たー坊]
・正妻が女二の宮で、他に妻はいませんね。小宰相の君とか按察の君とか、愛人はけっこういますが。[えるるん]
・女二の宮のことは、「おっとりとした、気品は内親王らしくて流石だ。」と、褒めています。あまり、通わなかったみたいですが・・・。[桔梗]



さんの疑問
朝顔の姫君って、朝顔の斎院と同一人物ですよね?朝顔の姫君ってどういう人物なんですか?

・桐壺帝の弟宮・桃園式部卿宮とその北の方の娘で、光源氏にとっては従姉(朝顔の姫君のほうが数歳年上)にあたります。朱雀帝の御世(はじ めは桐壺帝の女三宮だったのですが、何らかの理由で斎院職を降りられ、代わりに朝顔の姫君が職に就かれたのだと思われます)、冷泉帝の御世を通して賀茂の 斎院だったのですが、父・桃園式部卿宮の喪に服すため、斎院職を降りられました(20帖・朝顔)。光源氏の若い頃からの恋人ですが、肉体関係は1度も持っ ていません。それからも、光源氏とはいい文通相手だったのですが、35帖・若菜下で彼女の出家が記されています。[Miyabi]
・ありがとうございました。[松]


桔梗
さんの疑問
秋好中宮は、冷泉帝が上皇となった後は、紫の上が亡くなったときに、「枯れはつる〜」と、お見舞いの歌を贈っただけで、表舞台には出てきませんが、幸せだったのでしょうか?

・上皇とともに薫の世話をするなどしていたので不幸ではなかったと思います[はや]
・はやさん、有難うございました。[桔梗]


桔梗
さんの疑問
六条の御息所は、前東宮のもとに入内していて、後宮にいた頃は、局は何処だったのですか?やはり、大臣の娘で寵愛を受けていたから、清涼殿の近くなのかな?

・以前まったく同じ質問があったので探してみてくださいね。[はや]
・東宮の局は梨壺(昭陽舎)なので、その近くの桐壺(淑景舎)、麗景殿などだったと思います。[Miyabi]
・Miyabi様、有難うございました!でも、六条御息所が、桐壺女御様とか麗景殿女御様と呼ばれていたなんて、想像がつきません。[桔梗]


紫の上
さんの疑問
源氏は何人の人と肉体関係を持ったの?

・18人以上です。[はや]


ナミ
さんの疑問
明石の上っていつごろ亡くなったんですか??

・「匂宮」の巻に彼女が登場しますが、以降も臨終の場面はありません。[たー坊]
・彼女は、光源氏の死後も内裏に勤め、明石の中宮の母として(宮様方の後見として)活躍しました。夕霧が、紫の上様も生きて、明石の御方のように活躍され れていたら、良かったのに・・・。と、思われたので、権力があったのかもしれません。54帖最後まで、明石の御方の死は出てきません。[桔梗]
・お答え下さって、ありがとうございます。[ナミ]


桔梗
さんの疑問
源氏が恋をした女人達を(妻達も含め)身分の高い順に教えて下さい。(秋好中宮・朝顔の斎院も入れて)ごめんなさい!このような質問。

・時間がかかりますがそれでよろしければ…[はや]
・お願いします。本当に、ごめんなさい。こちらが、変な質問をしているのに・・・。お答えさせてしまって・・・。[桔梗]
・まず藤壺中宮、秋好中宮。[はや]
・女三宮[はや]
・中川の姫などの身分の分からぬ姫方は除いて下さって結構です。(中将の君とか、中納言の君とか・・・。)[桔梗]
・葵、紫、花散里、六条もこの前後。前の二人は源氏の妻の扱いだったので別格。[はや]
・朧月夜、つぎくらいに末摘花。[はや]
・あ、六条と同格くらいで朝顔を[はや]
・源典侍、、空蝉、明石、軒端の荻[はや]
・六条御息所は、朝顔の齋院より、上ではないのですか?朝顔の齋院も、かなり上だと思うけど・・・。[桔梗]
・後期での後見などが参考ですので最終的にこう…と思ってください。[はや]
・あとはセットで中川、霧の朝、筑紫の五節、中将、中務、中納言。[はや]
・これくらいですよね。[はや]
・はやさん、お手間をかけさせてしまって申し訳ありませんでした。やはり、一番は、藤壺なのですね・・・。[桔梗]



さんの疑問
明石って尼君になったんですか?それは源氏の許可を得たんですか?それと、もし明石が尼になったとしても、源氏死後ですか?

・明石の上は源氏の死後も尼になっていません。「匂宮」の巻に中宮腹の子の後見をしています。[たー坊]
・ありがとうございます。[松]



さんの疑問
明石の中宮って子供を何人産んだんですか?

・東宮・二の宮・三の宮(匂宮)・女一の宮の4人です。[えるるん]
・↑えるるんさんの東宮(一の宮)、二の宮、三の宮(匂宮)、女一の宮に加え、五の宮も明石の中宮が産んだので、計5人です。[Miyabi]
・そ、そうだったのですか!?知りませんでした。どうもすいません。[えるるん]
・ありがとうございました。[松]
・余談ですが、彼女の一番上の子供は、彼女が12歳の時の子供なんです…!ヤングママを超えて、キッズママとでも言いましょうか…もし、この書き込みが「大きなお世話よ!」だったら言ってください。[早乙女]
・いいえいいえ!そんなことはございません。よく参考になりました!ヤングママですね〜。ありがとうございます。でもこれってあくまでお話ですから。[松]


ナナ
さんの疑問
源氏物語を読んでいると、平安時代と現代ではずいぶんと人の考え方が違うようですが、今と一番違うのはどのあたりでしょうか?かなり大雑把な質問でごめんなさい。

・たくさん、あると思うけど・・・。男女平等であるこの世との違いを強いて言えば・・・。男(夫)が妻を何人も持って良いところじゃないかな?[桔梗]
・一夫多妻だということ、女性は身内以外の男性には顔を見られてはいけないことなど・・・。[春菜]
・男性は、裸でいることより人前で烏帽子を取ることの方が恥かしい、とか…かな。[美凪]
・何事も陰陽道にのっとって決めていたことでしょうか。[ゆーむ]
・方違えや物忌みだけではなく、足の爪を切るのは「〜の日」、髪を洗うのは「〜の日」とか細かいことまで決まっていたようですからね。[美凪]
・みなさんありがとうございました(^^)[ナナ]


桔梗
さんの疑問
斎院と斎宮、何が違うのでしょうか?

・齋院は賀茂、斎宮は伊勢神宮に仕える未婚の内親王(または女王)です。両方とも、天皇の代替わりなどの時に代替わりします(ただ、記憶が定かではないのですが、例外もあった気が…)。ちなみに秋好中宮は、朱雀帝の時の伊勢の斎宮にあたります。[美凪]
・そうなんですか?御勤めの違いなどは何か、あるのですか?[桔梗]
・伊勢の斎宮は、天皇が譲位されると交代することになっていますが、賀茂の斎院は、天皇が譲位しても、交代しない場合がありました。あと、斎宮は桂川で禊 ぎ(体を清め、けがれを洗い流すこと)をしますが、斎院は賀茂川で禊ぎをします。禊ぎのあと、斎宮は1年間の宮中での潔斎(神に仕えるため、身を清らかに しておくこと)ののち、もう1年間嵯峨野の野の宮で潔斎をし、宮中で別れの儀式をしたあと、伊勢に下りますが、斎院は2年間、宮中で潔斎をしたのち、再度 賀茂川で禊ぎを行い、紫野の斎院に移ります。まぁ、どちらも神に仕えるわけですし、違いはこんなものでしょうか?[Miyabi]
・Miyabi様、有難うございました!お陰でよく、分かりました。[桔梗]


すめらぎ
さんの疑問
桐壺帝には、弘徽殿女御腹の女一の宮、女二の宮のほかにも、皇女がいらっしゃるのですか?あと、朱雀帝には今上帝のほかにも皇子がいらっしゃるのですか?

・いませんでしたよ。[ゆり]



さんの疑問
お久しぶりです。あの、弘徽殿女御と秋好中宮って仲が悪かったんでしょうか?

・明石の上と紫の上のように仲良しだったとは聞いたことがありません。弘徽殿は、絵合わせで秋好中宮に惨敗しているあたり、心の中では彼女をすごく恨んでいたでしょうね。。曖昧な回答でごめんなさい。でも、大の仲良しでなかったことは確かです。[早乙女]


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