源氏物語ファンが作る源氏物語大辞典
た...と
竹河左大臣〔たけかわのさだいじん〕
- 夕霧の六男蔵人少将に娘を嫁がせる。 (匿名希望,2003年4月5日 21時3分)
玉鬘〔たまかずら〕
- 夕顔と頭中将の娘。
源氏に見出されて花散里の後見で夏の町に住む。
黒髭と結婚。 (朝月,2001年8月13日 15時11分)
- 夕顔の忘れ形見。
平安時代のシンデレラ。 (ゆうこ,2001年8月13日 17時58分)
- 物語にハマっていたことがある (インター猫,2001年12月24日 3時49分)
- 近江の君に引き立ててもらっている感じかな。(この人を見ていると近江の君が可哀想になる…。)母より美人だと言われる。 (匿名希望,2002年7月7日 19時48分)
- 幼少は田舎で育てられた。 (春菜,2003年1月19日
23時7分)
- ・公達にモテる。
・姉妹の中では一番の美人?
・明朗な性格。 (早乙女,2003年2月8日 17時23分)
- 幼少時の呼び名は、一説によると「瑠璃君」。 (匿名希望,2003年2月24日 3時45分)
- 夕顔の娘。夕顔は源氏などの愛人であった。しかし
母親は知らない女に生霊で取り殺されてしまう。
そのため、苦労し、花散里が義理の親になった。
後に、養母の花散里が住んでいた夏の町に住む。
髭黒と結婚したが、髭黒はものすごく玉鬘を
口説き、ストーカーのようだったという。 (紅葉の君,2003年4月21日 16時36分)
- 実名は、「藤原の瑠璃君」 (ゆま,2003年10月16日
17時17分)
- かぐや姫みたいな人 (匿名希望,2005年7月29日
18時40分)
- 冷泉帝に入内する予定だった。
髭黒の他にも蛍兵部宮、夕霧、そして源氏が彼女に気があった。 (翠,2008年9月3日 0時19分)
玉鬘十帖〔たまかずらじゅうじょう〕
- 玉鬘から真木柱までの巻をそう称することがある。 (匿名希望,2003年6月22日 11時52分)
玉鬘大君〔たまかずらのおおいきみ〕
- 玉鬘の長女で冷泉帝のお妃。 (匿名希望,2003年3月25日
18時14分)
- 夕霧と雲居の雁の息子の蔵人少将が思いを寄せていた。 (匿名希望,2003年3月25日 18時21分)
- 冷泉院の寵愛を一身に受け、秋好中宮や弘徽殿の女御に嫉妬される。 (匿名希望,2003年3月26日 0時58分)
- 冷泉院とのあいだに姫君、宮君を生む。 (匿名希望,2003年5月20日 18時24分)
- 父はひげ黒 (匿名希望,2003年5月23日
18時19分)
- 冷泉院の妃。 (匿名希望,2003年6月23日
23時1分)
- 玉蔓と髭黒の長女。髭黒に似ず玉蔓似で美人。 (匿名希望,2003年9月15日 17時57分)
- 橋本治著「窯変」では、竹河の御息所と呼ばれていた。 (匿名希望,2004年5月23日 12時38分)
玉鬘中君〔たまかずらのなかのきみ〕
- 玉鬘の次女。 (匿名希望,2003年3月27日
9時4分)
- 玉鬘が、尚侍職を譲り、今上帝の尚侍として入内した (桔梗,2003年4月6日 17時28分)
- 父はひげ黒 (匿名希望,2003年5月23日
18時20分)
- 源氏の君と乳兄弟。源氏に末摘花の存在をおしえた。源氏の女房でもある。 (匿名希望,2003年5月21日 16時36分)
大弐三位〔だいにのさんみ〕
- ご存知紫式部の娘御。 (匿名希望,2004年2月18日
13時52分)
- 狭衣物語の作者と言われている。 (菫,2005年6月10日
16時31分)
中宮〔ちゅうぐう〕
- 帝の正妻。皇后。身分柄のよい姫がなった。女御から中宮になる者が多く、初めから中宮となる例は源氏物語ではない。 (匿名希望,2003年5月24日 21時53分)
中宮彰子〔ちゅうぐうしょうし〕
- (988〜1074)紫式部が仕えた中宮。父は藤原道長、母は源雅信の娘倫子。 (匿名希望,2003年4月19日 21時42分)
- 後一条・後朱雀両天皇の生母。 (匿名希望,2003年4月19日
21時44分)
- 教養・嗜みなどといったことは苦手だったようですが、賢后とたたえられました。 (匿名希望,2003年4月20日 19時46分)
- 彰子のサロンは人気がなかったようです。 (匿名希望,2003年4月21日 20時15分)
- 藤原道長の娘。一条天皇の后。後一条天皇・後冷泉天皇の
母親。紫式部が仕えていた。しかし、後に父と仲が悪くなる。 (匿名希望,2003年5月20日 17時29分)
- 藤原道長の長女で一条帝に12才で入内。一条帝の死語上東門院女院号を賜った。 (匿名希望,2003年9月15日 18時5分)
- ↑の↑の説明の方へ後冷泉天皇の母は彰子の妹の後朱雀帝の妃、藤原嬉子ではなかったでしょうか?間違いだったらすみません。 (匿名希望,2003年9月15日 18時14分)
- 定子と較べられ勝ちだが、自我のある賢い女性に成長し、一族をよくまとめた。
定子の遺児にあたる姫宮二人のことは引き取らず、姫宮と彰子の間に母子のような愛情は無かったと思われる。(※姫宮は少女時代に自分の意思で内裏を退出している)
敦康のことは引き取って同居し、愛情を注いで優しく接していた。 (匿名希望,2003年10月24日 16時47分)
- 中宮、国母となった。結構長生きしたらしい。 (菫,2005年5月14日 11時5分)
- 藤原道長の長女。入内し藤壺を賜る。 (蓮華,2009年3月29日 18時50分)
定子〔ていし〕
- 一般的に彰子と比べられることが多い。
帝は彰子よりも定子を寵愛していたとの説があるが、
後宮の権力争いで彰子に負けてしまう。
停止の有名な女房に清少納言がいる。
清少納言は、ご存じの通り紫式部のライバル。 (佑輝,2003年8月24日 18時10分)
- 彼女がモデルだといわれる人もいるようです。 (匿名希望,2003年8月31日 11時12分)
- 藤壺の宮のモデルだと言われています。 (匿名希望,2004年7月16日 21時53分)
- ↑桐壺帝が一条天皇、桐壺更衣が中宮定子だというはなしを聞きましたが…? (匿名希望,2005年5月30日 20時56分)
- 一条天皇の中宮、のち皇后。帝に一番愛されていた寵妃で、一男二女を産む。だが道長の策略により後見人を失い、座を中宮彰子に奪われ落ちぶれてしまう。第二皇女出産が原因で25歳で死去。 (菫,2005年6月10日 16時21分)
- 紫式部が宮中の定子中宮のすばらしさを噂に聞いて、藤壺の宮のモデルにしたでしょう。のちに彰子が「輝く藤壺」と呼ばれ(『栄花物語』)、その人格も讃えられていますが、これは周りの脚色もありましょうし、彰子が藤壺を理想として努力した結果でもありましょう。 (匿名希望,2005年7月24日 22時12分)
- 彰子に中宮の座を奪われ、それから1年もしないうちに亡くなってしまう。しかし、寵愛は彼女のほうが深かった。 (匿名希望,2010年5月7日 9時5分)
- 定子と彰子のファンは、絶対重複しない(笑)
し、本人たちも概して水と油。
二人が真逆の個性を持っているせいか。 (匿名希望,2011年3月1日 9時50分)
- 定子も彰子も両方好きな人もいますよ
自分もそうです (匿名希望,2011年3月20日 20時52分)
- 今上帝の一の宮。母は明石の中宮。匂宮の兄。夕霧の一の姫と紅梅大納言の姫が入内している。 (匿名希望,2003年5月20日 18時38分)
- 次の帝になるというポスト (茉莉子,2005年8月13日
15時51分)
頭の中将〔とうのちゅうじょう〕
- 左大臣の長男で源氏の良きライバル (石川,2001年8月13日
14時13分)
- 源氏が不遇なとき、
自分の身の危険も省みず、
その元に遊びに行った友情あつい男! (らいんはると,2001年8月14日 23時40分)
- 女好きで親バカだけど、ちょっぴりオチャメでかわいい (匿名希望,2001年8月19日 13時46分)
- 一言でいえば、よく遊び、よく学べ、 (桜襲ね,2001年10月27日 23時3分)
- 源氏の最初の正妻・葵の上の兄。 (春菜,2002年9月13日
17時1分)
- 柏木、弘徽殿女御、玉鬘、雲井の雁などの父。 (春菜,2003年1月19日 23時9分)
- 本来はすごく優秀で家柄も最高のはずなのに、源氏の影に隠れて霞んでしまいがちな可哀相な人。蹴鞠だけは源氏に負けなかったらしい。源氏にとっては、若い頃の親友であり後年の最大のライバルでもある。 (匿名希望,2003年2月23日 2時37分)
- 右大臣の四の君を正妻にした。この結婚は政略婚とのみかたもあり、実際四の君のもとへ通うのにあまり熱心でなかった時期もある。 (匿名希望,2003年3月10日 2時10分)
- 源氏と宿敵のライバルだった (若紫,2003年3月11日
19時20分)
- 柏木と親子そろって和琴の名手。 (匿名希望,2003年3月26日 0時55分)
- 主要人物なのに通称がなく、ずーっとこの官職名で呼ばれる。ちょっと気の毒だし読者は呼びにくい。 (匿名希望,2003年4月11日 11時37分)
- 物語の中で1番の“漢(おとこ)前” (澪,2003年4月13日
15時44分)
- 母は大宮。源氏とは義兄弟であり従兄弟でもある。 (匿名希望,2003年5月24日 17時41分)
- この人、源氏より何歳年上ですか?
妹の葵が源氏より4歳年上だから、少なくともそれよりは年上のはずじゃ…。 (橘みずきと早川あおい,2004年8月2日 11時23分)
藤典侍〔とうのないしのすけ〕
- 夕霧のもう一人の奥方。
惟光の娘。
(朝月,2001年9月20日 13時47分)
- いい人だ、華々しき宮中にいて夕霧のことを忘れなかった、 (桜襲ね,2001年10月27日 23時4分)
- 夕霧の夫人の一人で六の君の実母。
落葉の宮に夕霧がご執心の時、雲居の雁と仲良く夕霧と落葉の宮のことをののしっていた(笑)
夕霧の妻の中で一番身分が低いため娘の六の君をその落葉の宮に養女として出すときはいったいどんな気持ちでいたのだろうか。 (匿名希望,2001年11月17日 15時20分)
- なんといってもあの惟光さんのお嬢さんですもの。
美しくて頭が良くて楽器の演奏もお上手なだけでなく、
物語の中のお姫様の中で、一番、頭の回転が速く、
気がきいたのでないでしょうか。もちろんセンスもよくて
生き方上手で、陽気で前向きな性格だったのでは。
窯変源氏物語では、源氏に夕霧の三人の妻の中で
一番優れていると言わせてます。 (インター猫,2001年12月24日 3時33分)
- 紫式部自身がモデルらしい。 (匿名希望,2003年3月23日
9時2分)
- 雲居の雁が夕霧の妻の中でただ一人許した人だったという (匿名希望,2003年5月20日 18時26分)
- 夕霧との間に4人の子供がいた。 (ゆま,2003年10月16日
17時20分)
- 2003年10月16日の17時20分、ゆなさんが書かれた件ですが、夕霧の子供の数は12人が有力説なんですが、内訳(雲居雁腹か藤典侍腹か)や出生順は資料文献によって異なっていますので一概にはっきりとは不明です。雲居雁腹が7人、藤典侍腹が5人という説もあります(どちらかといえばこちらが有力なのかも?)。
以上の点、お伝えいたします。
(たー坊,2003年10月23日 1時27分)
- すいません、「雲居の雁」の項目もそうですが、ゆまさんのお名前を間違えていました。お詫び申し上げます。
(たー坊,2003年10月23日 1時39分)
- 夕霧の子は全部で12人。雲井の雁腹が8人、藤典侍腹が4人だと思います。 (瑠璃,2005年9月2日 16時28分)
- 五節の舞姫 (翠,2008年9月3日
0時25分)
- 柏木と共に葵祭りの勅使として選ばれた宮中の花 (匿名希望,2010年5月24日 20時30分)
豊明節会〔とよあかりのせちえ〕
- 新嘗祭の翌日行われ、舞姫によって五節の舞が舞われる。
籐の典侍は五節の舞姫に選ばれた。 (匿名希望,2003年5月25日 18時27分)
- この時は身分に関係なく好きな色の衣をまとえる事ができる。 (たー坊,2003年5月30日 5時51分)
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