個人的名作集・番外編1

どうでも良い話1〜俺とアブ〜

 DOC1では「アブロジ」の台頭により、DOC最強ダート種牡馬の名を得た「アブクマポーロ」号。
どうでも良いかもしれませんが、私にはこの馬は違った意味で感銘に受けた馬でありました。当ページでは、この辺りの話でもして行こうかと思います。ちなみにDOCの情報は全く無いので、それ目的の方は以降は見るだけ無駄かもしれません。本当に自己満足なページです。それでも御覧になりたい方は、(くだらないですが)最後までお付き合いください。

 

無名言うな!!

 私は、1999年6月某日、偶然見つけた渋谷GIGOでDOCの存在を知りました。
ご存知と思いますが、DOC99のカードは10種類あり、それぞれに名馬の写真がついています。当時私は競馬の知識が余りありませんでしたが、有名な馬の名前はわかりましたので、「トウカイテイオー」とか「エルコンドルパサー」とかは名前を知っていましたが、NARの「アブクマポーロ」と言う名前は流石に知りませんでした。
しかも、持っていたカードの多くは「アブクマポーロ」だったので、

「名前も聞いた事無い割には、たくさん出て来るんだよなぁ・・・」

と、(今思うと大変失礼なことを)思っていました。
まさか、後にDOCで一番のお気に入り馬になるとはこの当時は夢にも思いませんでした。

 

SPカードは眠る?

 それから、ご存知の方も多いと思いますが、ロケテ中の渋谷GIGOのイベントでSPカードを頂きました。「紫芋チップス」(爆)の箱に張りつけられていたカードを期待と共に見てみると「アブクマポーロ」のカード・・・・。「ここでもアブクマポーロかよ!!」
 ロケテの知り合いの方にカードの種類を聞かれたので答えると・・・・

「あぁ、ただのダート馬ね・・・・」 

と、軽くあしらわれた記憶があります。

 DOC1ではパラの高さから、かなりの需要があったSPカードですが、私は貰ってから暫く使用しませんでした。
 理由と言うほどでもないですが、当時ロケテのプレイヤーの中にちょっと嫌いな人がいまして、・・・・私が負けるたびに「騎乗が甘い」とか「キューブは、なっていない」・・・など、いちいち皮肉を言ってくるので、参っていました。
 そんな中、「アブクマポーロ」を使って負けたらなんと言われるのか、と思うと使う気にはなれませんでしたね。初めて付けたSPカードが「タイキシャトル」でしたし・・・。

 

特別でも、あ・そ・び

 製品版出荷になり、気持ちの変化も出たのか、私の「アブクマポーロ」の出番も少しは増えました。
 ですが、カードはパラ云々言うよりもコメント

「2年連続NAR年度代表馬。地方競馬史に残る名馬。」

 が非常に気に入り、使用していました。
 カードを持ちながら、99で有名なパラ「△○◎○△◎」「△○○○○◎」「○○○○○○」を作成したのも随分後の時期でしたね。 自分で言うのも何ですが、「アブクマポーロ」と会う事自体が楽しみでしたね。(爆)
しかも、DOC99最終日は、拝んでいましたからねぇ・・・。

地方競馬に関しては全くの無知ですが、地方競馬の中で最強馬と称えられた上に、DOC上では9頭の名馬と同等の扱いにされている「アブクマポーロ」に段々と興味を持ち出しました。簡単ですが、まとめてみました。
(いい加減な調査のため、自分勝手な表現・事実と実際は異なる表現があるかもしれません。予めご了承下さい。)

 

勝手に紹介、アブクマポーロとは?

アブクマポーロ号・・・・ 父Crystal Glitters、母バンシューウェー、1992年2月に誕生。デビュー戦は遅く、1995年5月5日の大井1200mの4歳戦(年齢表示は当時のもの)で1着。
 彼が頭角をあらわしたのは、5歳以降でした。97年は帝王賞・東京大賞典といったG1レースは惜しくも逃すものの、中央のG2レースを制するなど、大きな活躍をした。
 98年は、川崎記念・帝王賞・東京大賞典とビッグタイトルを含め、9戦8勝と大活躍。その距離も1600〜2400と様々な距離を難なくこなした。99年のダイオライト記念を最後に引退。 生涯戦績は32戦23勝(2着3回)と連帯率が8割を超える。

更に凄いのは彼の成績の内、着外がわずかに1回。しかも、そのレースが、97年、中央競馬での「産経賞オールカマー」(芝2200m)。 32戦中で、唯一の芝コースでした。つまり、「アブクマポーロ」はダートのレースでは、着外が無いのです。
 (ちなみに中央競馬挑戦は、もう1回。 97年の「東海テレビ杯東海ウィンターステークス」(ダート2300m)で、既に書きましたが優勝しました。)
 これこそが、「アブクマポーロ」をDOC界最強のダート種牡馬のうちの1頭にしたのかもしれません。
 
フェブラリーステークスを優勝した「メイセイオペラ」とは異なり、中央では馴染みが少ないのが残念な気もしますが、 こういった惜しまれる終わり方も1つの名馬を彩る形容詞なのかもしれません。この続きは「アブクマポーロ2世」が作ってくれるでしょう。

 ところで、検索で「アブクマポーロ」を入力すると、沢山の「アブクマポーロ」のページにヒットします。詳細は省きますが、 「アブクマポーロ」には沢山の根強いファンの方々がいると感じました。私などはまだまだですね。

 

♪これも、アブ。♪あれもアブ。

 私の「アブクマポーロ」の使い方は、本当に極端でした。代重ね有利も知ったことではなく、
「アブ×(アブ×自家製馬)・・・・」の繰り返しでした。「バランス大器?なにそれ?」
 また、「アブクマポーロ」とその仔馬は本当に友人の方以外には、渡す気はさらさら無かったですね。どうでも良い拘りですが、『特別父馬カード・アブクマポーロ a~×番』は私の物という、奇妙な独占欲がありました。(←危なっ!!)
 ハッキリ言って「アレ」が出来なかったら、「アブのコメントが見られない」→「DOC2000はやっていなかった」でしょう。
 残念ながら出番の無くなったDOC2000以降、部屋の写真立ての中に大切に保管しています。永遠にないであろう、次の出番を待ちつつ・・・・。

 ただ、DOCで「アブクマポーロ」を知った頃には、現実の彼は引退後・・・。現役時代の走りを見ることが出来なかったのは、非常に残念です。もう少し、時間にズレがあれば良かったのですが、今となっては仕方ないですね。

 あと、「アブクマポーロ」関係のグッズの方も人気があるらしく、全然手に入りません。

(某日、大井競馬場売店にて・・・)
 私:「アブクマポーロ関連の物って、ここでは置いてないですか?」
店員:「そうですね・・・・。今だと、帽子・Tシャツ・ジャンパー位ですね。」
 私:「そうですか・・・。引退してから随分経ちましたから仕方ないですね。」
店員:「あっ、これはどうですか? これには、アブクマポーロは写っていますが・・・・」
・・・・と見せていただいたのは、『コンサートボーイ号引退の記念テレカ2枚セット』で、その内の1枚『97年帝王賞優勝』のときの写真に2着だった「アブクマポーロ」が写っていました。
 ですが、その写真は、ハッキリ言って「コンサートボーイ」より「アブクマポーロ」の方が写りが良い(全身が写っている)ので、買ってしまいましたとさ・・・・(終わり)。

 しかし、ゲームの競馬から実際の競馬に興味を持った話は多いかもしれませんが、ゲームの競馬から実際の競走馬に興味を持った話って、結構妙な感じもしますね。ですが、自分にとっては特別な馬であることは、間違いありません。

 この能書きオンリーなコーナーに最後までお付き合いくださいまして、有り難う御座いました。私は、こういう下らないことにこだわる者なので・・・。
 ですが、DOCプレイヤーには、こういった遊び方をした人も居たということです。空想上とは分かっていますが、ゲームの中の馬に惚れるのも、別に悪くは無いのかもしれません。(←いや、悪いかもしれない・・・・・(爆) )

 

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