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(初版 H15.3.15)

(改訂 H15.5.27)



反省法による動機的原因の究明


(どうすれば良かったのか、から動機的原因を考える)


1.動機的原因究明の難しさ
2.真の動機的原因の究明には落穂精神が必要
3.現実に役立つ有効な動機的原因の究明
4.反省法による動機的原因の究明

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1.動機的原因究明の難しさ

製品の故障の原因として直接的原因と動機的原因の二つが考えられる。

直接的原因は故障と物理的な因果関係で結びついている要因で、故障した製品を対象に論理的な思考と科学的な調査、解析により究明される。原因を除去する対策により故障が解決し、同じ条件でも故障が再発せぬことが確認されて究明された直接的原因が真なることが実証される。これは究明する人によって早い遅いの時間に違いがあっても同じ結果が得られ、究明する人によって異なったものになることはない。原因に対応した対策により故障は解決するが、その対策は当該品と同じ設計による製品の故障に対して有効であるが、他の製品に対する効果は限定的でどの製品に対しても有効というものではない。

動機的原因というのは、直接的原因を製品に作り込んだり、それを発見、除去出来ずに見逃して出荷した関係当事者の心の働きの不足を故障の要因として取り上げるものである。それに対する対策は当該製品の故障対策に有効なばかりではなく、他の製品に対しても類似の失敗を回避する知恵として極めて有効で、類似事故防止に大いに役立つ。製品の事故絶滅を実現するには動機的原因に対する対策を広く適用することが必要である。

直接的原因は純粋に科学的な調査で究明され事故現象の再現により立証されるが、これに対して当事者の心の働きを取り上げる動機的原因は、心理的な要因を問題にするので科学的な調査だけでは究明できず、相応の知識、経験が必要である。しかも、究明された動機的原因の真か否かを科学的に立証することが出来ないため、究明する人によって異なるものが提案されても、これが真と断定することが出来ない。ここに動機的原因究明の難しさがある。

何故?なぜ?を繰り返しながら動機的原因を究明する「5W法」と呼ばれる方法が行われているが、この方法で真の原因が究明出来るのかと言えば、必ずしも出来るとは言えない。若し、この方法で真の原因が究明出来るならば、誰がやろうとも答えは真の原因一つに収斂する筈であるが、実際は一つに収斂せず、試みた人の数に近い異なった動機的原因が提案される。真の動機的原因を究明するのが難しければ、真の動機的原因でなくても有効なものが究明されれば良いのであるが、時間と人手を掛けた割には納得出来るものを得ることは難しい。



2.真の動機的原因の究明には落穂精神が必要

動機的原因についてもう少し詳しく説明すると、これは製品(ハード、ソフトの両者を含む)の設計、製造、試験・検査等の各工程を担当する者が、事故の原因に気付かずにそれを製品に組み込んだり、後の工程を担当する者がそれを発見出来ずに製品を出荷して、納め先での事故発生を防止出来なかった当事者らの心の働きの不足である。

事故後、当事者が原因となった欠陥を作りこんだり、見落としたことを自ら明きらかにすれば、それは真の動機的原因と言うことが出来る。しかし、普通には、自分が事故の原因になり得ることを作りこんだことに気付いても、自発的に明きらかにすることは少なく、真の動機的原因を究明することは難しい。したがって、真の動機的原因を究明するには、当事者が心の働きの真相を明らかにすることが必要であり、ここに落穂精神の「己を空しうして孚誠を尽くす」心掛けの実行が求められる。

特別な場合として、当事者が叱責されることを怖れて意図的に失敗の原因について、重度の怠慢を軽度の怠慢にすりかえて事実と異なる申告をした場合でも、当事者自らが真相を明らかにしたものとして真の動機的原因として扱われることになる。しかし、それが真の動機的原因でないことは本人以外にはわからないから、当事者本人の申告であっても真の原因と断定するには慎重な吟味が必要である。

真の動機的原因を究明することは難しいが、製品の関係者と共にその仕事に詳しい先輩等が集まり、事故の現象や職場の環境条件などから色々な筋書きを想定して動機的原因を推定することは出来る。しかし、それはあくまでも推定であって事故の原因を作りこんだり見逃した者がそれを認めない限り真の動機的原因とすることは出来ないが、類似事故の再発防止対策に結びつくものであれば、有効な動機的原因として採用することが出来る。この場合でも、当事者を含め関係者が落穂精神に反して自分の立場や所属する部署の面目にこだわって不都合な事実を隠したり曲げたりしたのでは、本当に役に立つものを究明することは出来ない。頭の中の知識だけの落穂精神で実行が伴わなければ成果は期待できない

現在の日立製作所の製品事故管理の中核となっている動機的原因を重視する管理方法の起源は、日立製作所を創業された小平浪平さんが創業時代に従業員が失敗したときに、「失敗は成功の基」だと励まされたことにある。失敗や事故に対しては直接的原因だけではなく動機的原因を究明し、当該事故の再発防止とともに類似要因事故を防止する対策を徹底して事故絶滅を目標として活動しなければならない。

また、現在の日立製作所の製品事故管理は技術系の仕事の失敗を対象として行われているが、失敗は技術系の仕事にばかりあるのではなく事務系の仕事にもある筈であり、これについても落穂精神による反省と再発防止活動が必要である。



3.現実に役立つ有効な動機的原因の究明

事故絶滅のための類似事故防止対策は直接的原因に対する対策ばかりではなく、動機的原因に対する対策を広く実行することが必要であるが、自分に不利な事実を隠した言い訳や言い逃れを含んだ的外れの動機的原因からの対策では、徒らに仕事を増やすだけで事故を防止する効果は乏しい。重要なことは、有効な類似要因事故防止対策に結びつく動機的原因を見付け出すことである。

事故あるいは失敗の当事者がそこに居て、自分の非を正直に認め、真の動機的原因が明らかになったときは別にして、現実には、時間経過、人事異動、職制変更等で事故に関係した当事者の参加が困難で、動機的原因を当事者以外の者だけで究明する場合が多くなる。このような場合は、真の動機的原因を究明することは困難で、これに代わる有効な動機的原因を究明せざるを得なくなる。

直接的原因の場合は、対象となる事故現象と原因の間には定まった物理的な因果関係があるから、事故発生の条件が同じであれば、時、場所などに関係なく同じ事故現象が再現し、真の原因が除去されるまで事故は解決しないから、これによって直接的原因の真贋を判定することが出来る。

これに対して、動機的原因の対象となるものは人間の心の働きであり、前提条件と判断の間に常に一定の関係があるとは限らないところに動機的原因究明の難しさがある。前提条件が同じであれば、誰が、何時、何処で試みても同じ判断をするとは限らず、前提条件が同じでも人によって判断が異なることは、日常、しばしば経験することである。同一人でも時日の経過により判断が変わることさえある。これは前提条件と人間の判断の間に漠然とした因果関係があるとしても、一定不変の関係ではないからである。このことは、一つの行動に対する前提条件はただ一つに限らず、複数の前提条件が存在し得ることを意味する。同じ理由で、事故原因に対する心の働きの不足についても、ただ一つに限定されず究明する人の経験や考え方により異なったものになり得る。即ち、多くの場合、同一事故に対して複数の動機的原因が考えられる。

このように動機的原因は突き詰めて行けば必然的に一つの結論に到達すると言うものではなく、提案された動機的原因の真贋も直接的原因のように、同一事故が再現するか否かで判定すると言うような確認手段がないので、尤もらしい理屈がつくものはすべて否定されることなく動機的原因として取り扱われることになり、どれを結論として採用するかは責任者の判断に委ねられる。

真の動機的原因が明らかになれば、それから導かれる類似要因事故防止対策も有効なものとなるであろうが、真の動機的原因が明らかにならぬときは、推定の動機的原因の中から有効な類似要因事故防止対策につながるものを採用せざるを得ない。時には類似要因事故防止対策に対して真の動機的原因よりも推定の動機的原因の方が現実的で有効な場合がある。

要するに、動機的原因としての結論が得られたとき、それを採用するか否かは、それが類似要因事故の防止に対して現実的で一般普遍的な有効な対策につながるか否かで判定し、有効な対策が導き出されるのであれば、真贋に関係なく、それを動機的原因として採用して良いと言うことである。



4.反省法による動機的原因の究明

反省法と言うのは 、 対象としている事故について、「何が悪かったのか」と振り返ったとき、「これが悪かった(ので事故になった)」と思い付くものがある筈だからそれを活かして動機的原因を究明しようと言う方法である。これが悪かったと言う要因に対して「どうすれば事故にならなかったのか。どうすれば良かったのか」と反省すれば、それに続いて「こうすれば良かった」と言う答えが出て来るであろう。

「これが悪かった(ので事故になった)」と言う答えも、「こうすれば良かった」と言う答えも、それらは一つではなく複数になることが多い。それぞれについて類似事故の再発防止に結び付く有効な動機的原因の究明と言う観点から吟味して適切なものを選択するのである。

そうして「何故、そうしなかったのか」とただした時そこに出てくる答えの中で心の働きの不足に関するものを取り上げれば、それは一つの動機的原因となる。このような方法で動機的原因を究明するやり方は、新しい方法とは言えないが便宜上「反省法」と呼ぶことにする。

事故を起こしてから、どうすれば良かったのかを考えても無駄なことで、これからどうするかを考えればよいと言う人もいる。それも一つの考え方で失敗を苦にして元気が出ない人に対する言葉として一理ありとも言えるが、失敗の中から教訓を拾い上げ後日に役立たせる心掛けからすれば、どうすれば良かったのかを考えることは決して無駄なことではない。結果を見てあれこれ言うのは無責任な言い方に聞こえ軽蔑される場合もあるが、そのような考え方も動機的原因を究明する手掛かりとして貴重なものである。

動機的原因を究明するときは、事故も解決して全容が明らかになっている場合が多いから、結果から見て事故を防止するにはどうすればよかったのかは容易に分かることである。事故の原因がわかれば、製品を担当した当事者が考えることは「こんなことをしなければ良かった」「こうすれば良かった」ということであろう。事故を起こした製品については当事者本人が一番良く知っており、本人が後悔して「こうすれば良かった」「こんなことをしなければ良かった」と言うことはたいてい的を射ており当たっているものである。

事故の内容が明らかになれば、直接的原因がどの段階でどのようにして作り込まれたのか、事故になる前に何故見付けられなかったのか、などの疑問に対する答えも明らかになる。それを整理して、


(1) 何が悪かったのか?    これが悪かったので事故になった

(2) どうすれば良かったのか?     こうすれば良かった

(3) 何故、そうしなかったのか?


と言う問答をしたとき、「(1) 何が悪かったのか?」「(2) どうすれば良かったのか?」に対する答えはそれぞれ一つとは限らず、複数のものが考えられるはずであり、夫々について吟味する必要がある。そうして「何故、そうしなかったのか?」に対する答えとして、思考の不足、判断誤り(誤解、錯覚・・)怠慢、他人頼み等の心の働きの不足が挙げられるが、それらは動機的原因の候補であり、それら中から適切なものを選択するのである。

また、事故について「こうしなければ良かった」と言う考えも浮かぶが、「それではどうすれば良かったのか」と聞かれれば「こうすれば良かった」と言う問答になり、出発点は違ってもどちらも「こうすれば良かった」「何故、そうしなかったのか?」と言う結論に集約される。

[何故そうしなかったのか?」と言う問いに対して、「規定に定められた条件を満足していたので、問題はないと考えた」とか「実績があったので、これで良いと思った」と言うような答えが返ってくる。それら複数の動機的原因の候補にはそれぞれ尤もと思われる相応の理由が付けられているが、それらの中から下記の条件を満足するものを有効適切な動機的原因及び対策として選択するのである。

(1) 動機的原因を選択する条件としては    (a) 事故の再発防止に関していろいろな場面に適用出来る本質的なもの    (b) 他人や他部署に責任を求めないもの    (c) 現実的で有効な実行可能な対策に結びつくもの
 (2) 類似事故防止対策として望ましいものは    (a) 事故の発生を許した心の働きの不足を確実に補完出来るもの    (b) 他の製品や業務にも通用し、類似要因事故を防止出来るもの    (c) 実行の主体は自分・自部署で、他人や他部署を頼りにしないもの

上記の条件を満足するものが動機的原因及び対策として望ましいものである。選択する時の心構えとしては、「己を空しうして孚誠を尽くす」落穂精神が不可欠で、己を空しうせず不純な心をもって自分に都合の悪い結論を避けたりしたのでは有効な動機的原因を究明することは出来ない。

当事者が明らかにした真の動機的原因、5W法や反省法などで求めた動機的原因の中から先に述べた(1)(2)の条件から判断して採用するものを決めるとよい。

以 上


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